「ゆら×イラ」4*1

「おーい、みすずー!」
 県立屋内プールの玄関ホールは、競技を終えた選手や応援の人たちでごった返していた。ほんの一時間前までプールにあった喧騒がそのまま移ってきたよう。
 その混んだなか、みすずは手を振っている結華に気づいた。手を振り返して、駆け寄っていく。
「応援、来てくれてたんだ」
「当たり前でしょ。島村の件もあったし。だいたいあたしは青春評論家よ、血と汗をふりしぼる青春の結晶イベントに来ないでどうするの」
 そういうことを真面目に言うからうさんくさくて、こういう会場が似合わないから――てなことは、さすがにみすずものどの奥にしまっておく。
「あんたが電車のなかで倒れたって聞いたときはどうなるかと思ったけどね。コルセット策を勧めた本人として」
「あれはでも、あたしも悪かったから」
 胸の大きさを気にして、やや小さくてキツめのものを選んだのがいけなかった。そのままで走って、結局みすずは息苦しさのあまり倒れてしまったのだ。
 光生が電車を止めてくれたので大ケガにはいたらなかったが、関係各所にこっぴどく怒られた。
「ほーんと、あんたが決勝まで行ってくれて、正直ほっとした」
 結華がみすずの髪をわしゃわしゃと撫でる。
「ちょっ、やめてよぉ」
「照れるな照れるな。あんまり照れられると嫉妬であんたを殺せそうだから」
 物騒なことを、にまーっとした笑顔で結華は言う。
「島村の今日の大活躍見てるとさ、キミたちのこのあとの幸せっぷりが見えてくるっていうか……ほんとに、ほんとにこのうらやま野郎がっ! しばらく会えなかったぶんを今晩発散するってんでしょーが、そうは」
「ばか、大きな声出しすぎ!」
 みすずは結華の口を手で押さえる。今晩発散とか、オヤジ丸出しすぎなことをどうしてここで言っちゃうか。
「そりゃあ、いきなり頭丸めて『修行に行く』って言いだしたときは、びっくりしたし寂しかったよ。だからその修行が今日結びついたのはうれしいし……」
 電車事件後、光生は知り合いのお寺にしばらく泊り込むと言いだした。みすずにばかり努力や負担をかけて、自分がなにもしないのは申しわけないと言って。
 結華が言うには、仏教の修行には女人への関心興味を失せさせるマニュアルみたいなものが、二千数百年分の蓄積として有るらしい。みすずにはよくわからないけれど、たぶん、そういうものが目的だったんだろう。
 光生は今日の朝ギリギリに会場に現れ、そして完璧な泳ぎを見せた。出た種目すべてで優勝し、県の高校生記録を塗り替えた。
「でもべつに、そんな、まだちゃんとつきあってるとかじゃない、し」
「まんざらでもない顔してよく言うよな。というか大会終わったんだからもう障害ないっしょ、さっさと告ってこいっての」
 結華の眼光が、急に鋭くなる。
「そんなまだ、終わったばっかでいきなりとか」
「ぼやぼやしてっと青春という名の電車に乗り遅れっぞ。遅いもくそもないわ。堂々と交際宣言して、校内でみすずを視姦してくる男どもから守ってもらえばいいのに。全校男子のおっぱいから、ひとりのおっぱいになればいい」
 だから真顔でおっぱいとか視姦とか言わないでほしいのに。
「もしか大会前からつきあっとけば、島村だっておっぱいが気になるなんてことはなかったかもしれないのに。飽きるほど揉んでれば、逆に気にな――お、ちょうどいいところに」
 結華の視線が、みすずの肩越しに向かう。
 みすずは振り返って――息を呑んだ。
 光生だ。こっちに向かってくる。大活躍のおかげで人に囲まれているけど。なんというタイミング。
「ほれ、さっさと行けって」
「えっ、あ、う……」
 さっきみたいな会話がなければ普通に話しかけられたのに。結華が変なことを言ったせいで、みすずは緊張してしまってうまく踏み出せない。
「しょうがないなあ」
 あきれたやつだ、とこぼして――結華の手が、みすずのわきの下から出てきた。
「ひゃあぁっ!」
 みすずは思わず悲鳴をあげてしまった。
 だってこんな人がいっぱいいるところで、いきなり背後から胸をわしづかみにするなんて!
 即座に結華の手を振り払って、みすずは胸を腕でブロックしてその場に縮こまる。
 どよどよ、としたホールのざわめきが、みすずの心をさくっさくっとえぐってくる。
「……」
 みすずはおそるおそる、光生のほうを見る。
「……むう」
 うしろで結華がうなっている。
 光生はあの至近距離から悲鳴をあげたにも関わらず、まったくみすずのほうを見ていなかった。光生のまわりの人たちがひとり残らずみすずのほうを見たにも関わらず。
「なんという修行の成果」
 感心している結華、そしてみすずを通り過ぎて、光生は会場の外に出て行ってしまった。
「ゆ、結華――どうしよう、ねえどうしようよ!?」
「落ち着けみすず。あと泣きそうな顔になるな。乳揉み誘惑という大胆なやりかたに出たあたしのほうが悪かった」
 腕組みをして、結華は神妙な顔で出口を見据えている。
「しかし、女に対する興味が低下してるのは間違いないわ。こりゃ今度は、逆の修行が必要かも。もちろん講師はみすずだけど」
「あたしが?」
「いまこそ、その肉体を使わないとダメだろ?」
 結華はウインクしてみせる。悪かった、と言ったわりには反省してない気がする。
 にしても、まさか光生があそこまでになっていたなんて。
「……だからあたしたち、ずっといままで『幼なじみ』のままなのかなぁ」
 みすずはため息をついた。
(続かない)