「ゆら×イラ」3

 特急が、光生の目の前を通過していく。風があとから追いかけてきて、光生の髪を巻き上げる。
 駅のホームで、光生は電車を待っていた。
 一時間に三本、普通電車だけが停まる。片田舎のJRはこんなものだ。ホームを繋ぐ陸橋はボロボロのサビサビで雨漏りもするし。むしろ、かろうじて有人駅なのが、ちょっと誇らしいくらいだ。
 旅に出よう――漠然と、光生の頭のなかにはその言葉だけがあった。
 べつに荷物なんか用意してないし、お金だって五千円ぽっち、銀行のカードも持ってきてない。
 でもそんなことは問題じゃなかった。
 重要なのは、この街からしばらく離れること。
「俺は……」
 最低だ、と光生は口のなかで続ける。
 見つめられて、気持ち的に追い詰められたからって、やっぱりあんなこと言っちゃいけなかった。
 みすずが胸のことを気にしてるのは、普段の仕草でわかっていたのに。
 まわりの男どものエロな目つきから守ってやるのが、好きな水泳に集中できるようにしてあげるのが自分の役目だったのに。
 隠しきれなくて、気になって、結局喋ってしまった。自分もみすずを視姦している変態たちと同類だと。
 自分は、みすずを裏切ったんだ――光生の心は、真っ黒く沈み続ける。
 大会前に部活も辞めて。もうなにもかもを裏切ってしまって、なにも残っていない。
 だから――この街を、出る。
「まもなく、二番線に、電車が到着いたします。白線の内側へお下がりください。電車が到着いたします。白線の――」
 スピーカーから録音のアナウンスが響いて。間断なく、電車はホームに滑りこんで来る。
 ゴトガタと年季を感じさせる音を鳴らして、ふすまみたいなドアが開く。降りる人間は誰もいない。光生は一度だけ、街のほうを振り返って。車内に足を踏みだす。
 いつまでの旅になるのか、どこまでの旅になるのか――
「まっ、待ってっ、その電車待って!」
 そのとき、階段を転がるように駆け下りてきた――見慣れた高校の制服の――みすずが。
「みすず!?」
「み、光生」
 息をきらせてみすずは電車に飛びこみ、光生にもたれかかってきた。勢いに押されて、光生は尻もちをつく。
 ギロチンみたいな勢いでドアが閉まり、ゆっくりと動き出す。
「あ、あたし、切符持ってな、入場券しか」
「なん、なんでみすず、こんなところに」
 光生はわけがわからない。
「さがっ、してたの、ずっと、光生どこにも、いなくて……もしかしたら、駅、かなって」
「探してたって……俺はお前に、ずっとひどいことしてたんだぞ。なのに」
「でも、あたしが水泳好き、なの知ってて、あたしっ、をっ」
 急にみすずの息継ぎがぎこちなく、より荒くなった。ごろりと寝返りを打って、電車の床に仰向けになる。
「みすず?」
 恥も捨てて楽な姿勢になっても、みすずの様子は変わらない。顔を険しくゆがめて、はぁはぁとあえいで。ときどき歯を噛みしめて、うめくような堪えるような声まで出している。
 ただ走ってきただけで、ここまで苦しそうになることなんて、あるだろうか。
 光生は一瞬、迷った。でもみすずの顔を見たら、決心が鈍ることはなかった。
 ドアの横にある緊急停車ボタンを、光生は押した。