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みなさま、おひさしぶりでございます。
といっても、ツイッターでは普通に生息していたので、個人的にはあまりおひさし感というのがないのですが……
さて、どういうふうに書いたらいいのかとずっと考えていたのですが、あんまり重々しく書いてもついて来ていただけないと思うので、からっとさわやかな感じで、でも事実を逃さずに書きたいと思います。
大学卒業後
私はなんの進路もないまま卒業しました。当時よみかく分室に入り浸っていましたね。小説を書いていました。就職活動はちょっとしましたが、自分の時間のなくなる恐怖などなど、伝え聞くことから勝手に恐怖を組み上げてしまって、まあ甘い見通しと逃亡癖もわざわいしてすぐにやらなくなりました。
そこですぐ春からバイトでもしていればよかったんですけれど……当時私は小説を書くことしか頭になくて、それ以外に神経や時間を取られることをなにより嫌がりました。結果、ニートとして小説を書くことになりました。
そもそももっと言うと、面接そのもの、人と会うことそのものへの不全感がひどかったので、バイトを受けようとしなかったということもありますけれど。
小説は、二、三年でそのうちだんだんと書けなくなりました。
いわゆる眼高手低問題、どこでプロットを妥協して執筆に移っていけばいいのか、まったくわからなくなりました。アドバイスを求めればよかったのでしょうが、もらったら全部活かさなきゃいけない圧迫などあって、アドバイスそのものへの忌避感がどうしようもなく当時ありました。この点は、いま強く後悔しています。
結局、労働していないコンプレックスを理由にして、「自分が働いて定期収入が得られる身分になるまでは、小説はもう書けない」と決めてかかるにいたりました。
転向
しかしその時点で完全空白が5年ありました。これは語る以上に厳しく、あっという間にアルバイト面接は5連敗しました。
そしてそこで、またぱたっと純粋なニートに戻ってしまいました。
アンケートサイト巡回やせどりで糊口をしのぎました。アンケサイトは年間一万円くらいにはなりました。わりとなんとかなりました。せどりはライバルの多さにへこたれ、結局自分の買ったもので要らないものをアマゾンで効果的に現金化するメソッドだけが残りました。
完全に創作をやめて、小説を読むことさえも遠ざけて。私の日本語力は自覚できるレベルで日々はっきりと低下していきました。
働くまで書かない、書かないと低下する、しかし働く自信がない。
自分で勝手に決めた条件に縛られて抜けられなくなるという最悪の状態に入りました。
――そのときに、短歌と遭遇しました。
短歌ってあきらかに古臭いじゃないですか。文語とかぜんぜんわからないですし。なのでまったく興味とかなかったんですけれど。
たまたま新聞の文化欄で見た「体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ」(穂村弘)が衝撃的でした。
なにこの、漫画みたいな世界観のやつ? いまの短歌ってこんなのなの?
そこから主にネットで、現代短歌についていろいろ調べ、同時に実作も始めました。31音ですぐできる短歌のインスタントな感じはなにかと都合がよく、すぐハマりました。
もともとひどい開陳趣味だったこともあって、ブログを作ったり、雑誌やラジオ番組に投稿することもしました。投稿はわりとすぐ結果が出ましたね。ワナビ時代に身につけた描写の勘とかがそのまま活きたと思っています。
ただ、当初目指したファンタジックな短歌をやるというよりは、小説のときもよく顔をのぞかせていた自分のルサンチマンや斜に構えた意識をぶつけるような短歌のほうが、だんだん多くなりました。短歌の歴史的に言って、そういうもののほうがむしろ主流ということもありますし、なにより「出すのが恥ずかしいところ」を表現してものになるというのが、個人的にすごく助かったのです。
脱ニート
ブログやツイッターメインで活動していくなかで、やはり自然発生的に、オフ会のような流れになりました。自分が採用される投稿企画の常連さんに会ったり会いに行ったり。
(全財産3万で、夜行バス使って上京したこともありました……)
そうしたことの繰り返しでだんだんと社会への怖れが取れ、まあ実は細かいアップダウン展開はいろいろとあるんですが省略して、去年の秋に期間採用というかたちで脱ニートしました。
地元にニート支援をしているNPOがあって、そのNPOの経営母体である牧場での勤務でした。
正直こんな外仕事・肉体仕事ができるわけないと及び腰だったんですが……誰にでもできる体験ではないというワナビ好奇心と、空白を知りながら雇ってくれる環境など他にないということが勝りました。
結果的に言えばここは楽しかったです。同僚もいい人しかいないですし、仕事も覚えれば困難ではありませんでした。3月いっぱいで期間満了になりましたが、いまでも自分に道をくれたということで感謝しています。
その後、4月からは大阪市の就職支援事業に参加し、研修など基礎的なことをさせていただきました。ここでもまたいい人が多く、むしろ社会人として能力不足だったことに申しわけなさを感じています。
そしてその事業も7月いっぱいで満了して、現在はニートです。
まあ牧場以前よりは働ける精神になっていると思うんですけどね。正直不安というか、この先どうやって生活していけるんだろうかという根本的な原野におっぽり出された感じはあります。しかしいっぽうで短歌仲間には恵まれすぎて、短歌以前のようなひとりで穴を掘ってるだけのニートではないので、まあとにかくやっていくしかないですね。
今後
ということで、今後についてはとりあえず社会復帰を目指す、ということですよね。楽ではないですが頑張ります。
小説については、いずれ戻って来たいという気持ちはあります。自分の短歌のSS化とかほんとにやりたいので。ただ、これほどブランクがあるともう商業ラノベ作家を再び目指すということは、非常に難しいでしょう。だいたい平行してできるほどまだ器用でもないので……
このサイトも、今後更新するかとなると、かなりあやしいです。短歌ブログでさえ週一しか更新してないくらいなので、こっちまでそんな手が回るかというと。うーん。
というわけで、引き続き(?)ツイッターでの活動をメインに継続していきたいと思います。
乱文・長文でしたがここまで読んでいただいてありがとうございました。
巻島アカウント→@maximas
短歌アカウント→@mushitake (ほぼ身内とのじゃれあいです、すいません)
短歌ブログ→The NEET-verse
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巻島です。
みなさま。今年1年、ありがとうございました。
といっても、下半期はまったく更新してこなかった状況ですが……
もしかしたら、いろいろなご心配をかけてしまっていたのかもしれません。管理人として説明する義務を怠ってきたことについては責めらててもしかたがないと思います。すいませんでした。
更新を止めていたのは自分の意志によるものです。
もともと小説のために開設したブログなのに、いまの自分には小説を書く資格がなく、実際に書いていない。
下半期はついに小説を読むことからも遠ざかってしまった。
日本語力を落とさないために、小説でない文芸で活動しているのが現状です。
09年は資格を取り返して、小説界にも帰ってくる――必ず帰ってくるつもりなのですが、そこは一日二日で至れる場所ではありません。
資格を再取得するまで、当ブログは無期限更新停止&コメント凍結とさせていただきます。
皆さまの09年がよい年であることを祈りつつ。
「四方遊戯」(遠藤達哉/集英社)
遠藤達哉は、オイラの目の前に現れた、初めての同い年の漫画家だった。
もちろんオイラの目の届かないところでは、もっと前にデビューした同い年漫画家だっていただろう。あれから8年も経ってしまって、その程度のモノワカリはオイラも持つようになってしまった。
遠藤達哉のデビューは赤マルジャンプという、いわゆるジャンプの増刊雑誌だった。
タイトルは、「西部遊戯」
その少し以前から、妙に新人マニアになって連載未経験者の読み切りを読みあさることに執心しだしたオイラは、漫画家紹介プロフィール覧で初めて目にする「1980」という数字にぐうっと目を奪われた。
それはあるいは、当時すでにぼんやりながら将来プロ小説書きになりたいとか思ってたことから来る、羨望とか嫉妬だったのかもしれない。それまでフィクションというものは、すべて自分より1年以上先に生まれた人間の生み出すものだったから。カツオやのび太の年齢を抜かし、年下の子がドラフト指名されることよりも、オイラにとって具体的で実感のある揺さぶりだった。
一種のバイアスがかかった状態で読み出したと言っていいと思う。
そして読み終わって、オイラは、遠藤達哉の才能に恋をした。
格闘少女主人公という、いまから考えるとちょっとだけ時代を先取りしたセンス。彼女たちの背後にいつもある、粘つくような黒のトラウマ。
ジャンプの主流からはズレている作風で、だからこそ新鮮に映ったんだと思う。その要所で鋭角的になる絵柄とともに、オイラは遠藤達哉の最初のファンのひとりになった。
遠藤達哉がこれまで商業の現場で発表してきたオリジナルの読み切りは、この短編集に収録されている4編ですべてだ。(一応、他にも「オクタン」という原作付き読み切りが1編ある)
いずれも少女主人公で、彼女たちが戦って物語が解決する。
ついでに言えば初の連載作品となった「TISTA」も戦う少女モノだった。
遠藤さん本人は「女主人公に特にこだわりはない」と回想コラム覧で言っていますが、少年誌で描いておきながら少女主人公しかやってこなかったというのは、なにがしかのものが内にないとやはりできないものだと思う。
どうしてこんなにも少女主人公ばかり少年誌で描いてきたんだろう、ということを今回この文章を書くにあたって、漫画を読みながら考えていた。
……これはもちろん、勝手な解釈なんだけど。
遠藤達哉の問題意識として「世界の窮屈さ、閉塞感」というのがあるんだと思う。
少女主人公というのは、あくまでその窮屈さを漫画内に導くための仕掛けでしかなくって。
少年誌で少女主人公の漫画を描くというのは、やはりどうしても制約が多くなってくるだろうなというのが想像に難くない。
そういう書き手自身の窮屈感、枠のある感じが、そのまま作品世界にオーバーラップしている。
少女だてらにバトルで大活躍するというのは、力を奮うのは男の仕事という既成概念の枠に対するアンチテーゼとも受け取れるし。
連載作品も含めて5編いずれも、主人公自身の意志を越えたところでの出来事によって、彼女たちは人生を決められてしまった。そのほとんどが、親を殺されたことというのはなかなか興味深いですが。ひとつの枠を取り払われたあとに、もっと強固な黒い縁の枠があったという。
枠のある世界で、力を持て余しながら、その力をどう使ってどう生きていけばいいのかということのひとつの答えを見出し示そうとしている。遠藤達哉は少女たちにそういうものを背負わせてきたんだと思う。
「TISTA」2巻(遠藤達哉/集英社)
完結巻。
ぶっちゃけ打ち切りだったのですが、打ち切りとは思えないほどよくまとまっていると思う。というか畳みかけがすごい。
純粋な害意のせいで幼児期にトラウマを抱え、そのトラウマに導かれるまま修道騎士となり悪人を裁き続けるティスタ。ティスタにとって正義を奮うということは徳を積むということであり、神へ赦しを請うことと同じだった。修道騎士であり続けることが、精神の平穏を保つ唯一の方法だった。
だが幼なじみのアーティと再会したことで心に揺らぎが生まれ、神の代行者としての精度が鈍っていく。
ついにはそれが隠しきれなくなり上層部から最後通告を受ける。目撃者であるアーティを殺せば、これまで通り修道騎士としての職務を続けさせてやろう、と――
ティスタが能力を得る過去話あたりからの加速感がハンパないです。教会の福祉施設だからね、まあ悲惨な子どもたちっていう道具立てには困らないんだけど。
ブロードウェイ志望少女だったスージーが扼殺未遂で声(歌)を失って、そこから12年後に唖の女優になって笑ってクリスマスの聖歌隊の前で踊っているシーンとかね、とてもこう、グッとくる。
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なんというか、8月まるっと一度も更新してませんでした。
どうもすいませんでした。
原因は7割方twiterです。
結局のところオイラの場合、誰かが見ているところで瞬間最大風速的な感情の盛り上がりをぽろっと吐き出せればそれで満ち足りてしまえるのかもしれません。ああ小市民ララバイ。
若ノ鵬とかに始まる角界薬物問題とか、本当ならここでちゃんと取り上げなきゃいけないぐらいの大問題なのにね。
オイラはtwitterで「おすもうオワタ\(^o^)/wwwwwww」とかの脱力文でテキトーに済ませてしまった。
……結局、かける労力との釣りあいの取れなさに気づいてしまったのかもしれない。どれだけ真面目に時間をかけてまとめても所詮は場末ブログ、誰の注視も浴びることはない。だったらtwitterぐらいで……という。
さよなら、トルネード 〜野茂英雄引退へ〜
この道をゆけば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる
いきなり猪木の引退のときのポエムを引用してしまいましたが、MLBパイオニアとしての野茂英雄を語るにおいて、やはりこの詩のような感覚を抱かずにはおれません。
監督だった鈴木啓示との確執、前時代的な経営感覚だった近鉄フロントとの対立などから任意引退扱いとなり、以前から憧れていたMLBへ挑戦する(この当時は文字通り「挑戦」だった)ことになった野茂。マイナー契約で、年俸は10分の1以下。4年連続最多勝も取った選手に対してなんたる扱い――といまは思うかもしれないが、当時としてはこれもいたしかたなかった。NPBはアメリカ人に完全に舐められていたからだ。おそらくは、3Aクラスの選手が日本に助っ人として雇われていき、大活躍するケースがゴロゴロあったからだろう。NPBは3Aクラス、という見方が大勢だったのだ。
そしてそれは日本のスポーツマスコミも同様で、野茂がドジャースと契約したとき、野球評論家と名乗るほとんどの輩は「野茂は通用しない」という見方をしていた。それはあるいは、近鉄退団の経緯が前時代の野球選手でもあった彼ら評論家にとって「わがまま」に映った側面もあるだろうし、あの独特の投球フォームをまだ認めたくないやっかみもあったかもしれない。
……結果はご存知のとおりである。
1年目からオールスターの先発を任されるなど、およそ日本のMLBファンの期待をさらに高く裏切るような次元で、野茂は結果を出した。野球に肥えた&個人主義の氾濫しているアメリカ人でさえ見たことのなかった独特な投球フォームで、多くのアメリカ人に「Hideo NOMO」を認識させることに成功した。
個人的に、この一連の出来事で、オイラは「マスコミは、汚いものだ」ということを初めて学んだ。野茂が大活躍するにつれて、あれだけネガティヴカラーが強かった記事の調子が、掌を返すように褒め称えるように変わったからだ。そしてそのことに対して、なんの悪びれも見せず。
当時まだ中学生で、インターネットもまだ世のなかになく、マスコミの言ってることの検証も満足に出来なかった時代・年齢のなかで、そういうことを学ばせてくれたことは非常にありがたかったと思う。
ベネズエラのチームにまで所属して、燃え尽きるまで野球をやりきろうとしたその姿勢、切り拓いていく姿勢をオイラも見習わなきゃぁなあと思う。
今後はNOMOクラブで投げてくれないかな。少しでいいから。社会人野球を盛り上げるという設立当初の目的を考えたら、充分ありえると思うんだけど……
「さよならピアノソナタ 女王様の歌合戦」(杉井光/メディアワークス 電撃文庫MAGAZINEプロローグ2(asin:B0012V1I16)収録)
実は、この話が収録されている電マガプロローグ2は、今年の2月に発売されたものでして。
で、一方、先日感想を書いたピアノソナタ2の発売は、3月10日。
なので本来ならば、こちらの感想から先に書くべきだったんですが。
相互に数ページほど読んでみて、オイラすぐ気づいたんです。
「これ、時系列が(発売順と)逆になってる……」
2巻は夏休みの話、一方これは休み明けの話。先に世に出たほうが、あとの季節のことを書いているんですよね。
で、ここで素人考えをめぐらせて、「おそらく雑誌と文庫の締め切りの違いから来る逆転現象だろう」と予想しました。実際に杉井さんの執筆順は季節順だったのだけれど、締め切りから発売までのタイムラグの違いによってこんなことになったんだろうと。
そうと考えがまとまれば、こちらとしては素直に季節順に読むだけでして。
あ、枚数は原稿用紙換算で73枚ぐらい。だいたい。
バンド名の「QUEEN」と曲名の「Hail Holy Queen」をひっかけるところにギミックが一点集中しているストーリー、ですかね。まあ100枚以内で書くとなると、こういうワンアイデアストーリーになるのはしかたがないと思います。枝葉、というかキャラクタのことをそれなりに書かないといけないし。実質はキャラのほうが主で、ストーリーは従に近いんですが。
しかし真冬と直巳はほとんどクラス公認カップルみたいな扱いなのか。たぶんこれ、最初に転校してきたときにツンツンでクラスの不興を買ったこと、そこから真冬の取り扱いを直巳ひとりにおっ被せたところに、対応の原因があるのだろうな。
普通に美少女とそういう関係なったら、もっと陰湿なからかいになるからね。
ある種の負い目じゃないけど、問題児の扱いをひとりに任せてて、そのふたりがそのままラブい仲になってしまったとしたら、それはもう認めて祝福して応援しちゃうしかないわな。
しかし指揮者か……オイラ、中3のときやらされたんだよな。正確には勝手に推薦されて候補に名前が挙がって、決選投票で勝ってしまったんだけど。
その当時からすでに友だちは数えるほどしかいなかったし、根暗だし、女子にはキモがられてたんで、ぶっちゃけ「ハメられた、つかいじめだよな」と解釈しました。で、決まった瞬間にイラっときて机をバーンと星一徹ばりにひっくり返してしまって。
まあ先生に問題視されたのなんのって。
でもオイラも一歩も引けなかったので、オイラに投票したクラスメイトを全員立たせて、なぜオイラに投票したのかひとりひとり言わせました。いじめ以外のまともな理由があるなら言ってみろや、と。
……いまから考えると相当イタいヤツだな、集団社会的に考えて。
変な正義心と怯えに似た警戒心と自意識の過剰さが合わさって引き起こしたイタさであるとも言えますが。問題は、いまもそのイタさがあまり変わってないってことなんだよな。はぁ。