「ゆら×イラ」2

「男ってさぁ、みんなエッチなのかな」
 開け放した窓から両腕をだらんと出して、みすずは問いをこぼした。
「なになに、藪から棒に。青春ごっこならヨソでやってくんな」
 食後のコーヒーを淹れてきた結華が、つま先でみすずのかかとを小突く。
 特に用事がないときは、いつもみすずはここ――文芸部の部室で昼休みをすごす。まともな部員は結華だけで、あとは幽霊部員なんで来ない。学校の喧騒から切り離されて、山の手の邸宅にいるような気になれるのがいい。
「こういう悩みって、青春、になるのかな」
「ほう。まあ話してみなよ。自称青春評論家のあたしが判定してあげるから」
 どーんと、結華は胸をわざとらしく叩く。結華はこういう誇大な性格だから、はっきり苦手だって言う子もいる。でも、みすずはこういう結華が好きだ。いつも本音で喋ってくれるし、気疲れしないから。
「うん、実はね……」


 ……五分後。
「ねえ、みすず」
「はい?」
「殺していい?」
 とびきりの笑顔で、結華はコーヒースプーンの柄をみすずに突きつけてきた。
「え、そ、え?」
「そういうくだらん話は、このあたしの胸を見てから言ってもらおうってんだ!」
 再び、どーんと胸を叩く結華。……うん、見事な大平原。
「あ、その……ごめん」
「謝るなーっ! 謝るくらいなら、一日このうらやまけしからんものをあたしに貸せ!」
 結華の左手が、みすずの胸をわしづかみにする。
「ひゃぁっ」
「ふん。一瞬であの弾力、やはりうらやまけしからん」
「ちょっと、あたし真剣に悩んでるんだからね。ちゃんと真面目に」
「真面目よ。いまのだって、みすずに現実をわからせるためにやってんだから」
「現、実?」
「そう」
 びしっ、と。結華がみすずに指を突きつける。
「あんたねぇ、そんな凶悪なもの揺らしてて、水泳部の男子どもがまったく気にしてないとでも思ってたわけ?」
「うっ」
 みすずとて、そういうことを考えてないわけはなかった。ときどき、みすずが横を向いている瞬間に、誰かからの視線を感じることもあるし。プールじゃなくて、教室でも、街中を歩いてても。
 はっきり言って、みすずにとって胸のことはコンプレックスだ。
 でもそれでも、泳ぐのが好きだし、水泳部の男子のみんなも露骨な目つきはしてこなかったから、このままずっとやっていけるって思っていたのに。
「やっぱり、ムリ、なのかな」
「むしろ、いままで男子どもが抑えててくれたことに感謝するべきね。――で、本題に入るけど」
 結華は腕組みをして、顔つきを正した。みすずも背筋を伸ばす。
「冷静に成績比べたら、辞めるのはみすずのほうよね。一応、あんたも背泳ぎでレギュラーだそうだけど、優勝とか狙える感じじゃないし」
「……うん」
 それは、みすずもわかっていた。
 辞めると言いだした光生に対して、大会目指してやってきたのにパーにする気か、と迫って抗議した。大会で好成績を残すこと、それが一番大事なんだと言って。
 みすずか光生、どちらかがひとり絶対に辞めないと大会で成功できないということになれば……当然、辞めることになるのはみすずのほうだ。
「そこまでわかってた上で、自分のほうが辞めるって言って出てったんだからね。いまどきカッコいいじゃないの島村も」
「あっ……」
 言われて。みすずは初めてそのことに気づいた。
 光生とみすずは、小学校に入る前からの付き合いだ。だから、みすずが何が好きなのかとか、そういうことはほとんどみんな知っている。
 みすずが昔から、誰よりも泳ぐのが好きってことも。
 だから胸のことがだんだんコンプレックスになっていっても、泳ぐことはやめなかった。
 考えてみれば、いつだってそうだった。光生は肝心なところではいつもみすずに譲ってくれた。優しかった。ソフトクリームを地面に落としちゃったときは半分くれたし、自転車の鍵をなくした時は一緒に夜中まで探してくれて、そのあと親に怒られたときもかばってくれた。
 いつだって自分のほうが迷惑をかけているのに、光生は――
「あたしが言うことじゃないんだろうけどさぁ。あんたら、さっさとつき合っちゃいなよ。幼なじみなんだしさ」
 もう腹いっぱいだみたいな顔で結華は言う。
「まさかいまさら、あいつのことは好きでもなんでもない、なんて言わないよね?」
「……う、ん。あたしは、その、うん」
 みすずは顔を真っ赤にして、下を向いてしまう。恥ずかしすぎて、結華の顔を見れない。
「ある意味チャンスなわけよ。今回のことは。恋愛的に考えて。向こうもみすずのうらやまけしからん肉体にメロメロだってことがわかったからね。裸で迫れば一発で篭絡できるんだから、こんな簡単なことはないわけよ」
「でも、でもいまは」
「そう。あんたも生真面目だからね。恋愛に生かすとか自分のことはほっといて、とにかく大会に島村を出せるようにしたい、その方法はないか――ってことでしょ。そんなの、初めからふたつしかないに決まってるじゃない。ひとつは、あんたが水泳部を辞めること。もうひとつは」
 そこで結華は言葉を切って、みずずの胸元をじとっと凝視してきた。粘っこさを感じて、思わずみすずは腕で隠して体をひねる。女同士なのに。
「も、もうひとつってぇっ?」
「みすず、あんた大会までずっとこれから毎日いつも、コルセットつけて生活しなさい」
「コル、セット?」
「知らないの? 簡単に言うと、胸を強引に押さえつけて潰して平らにして生活しろっていうこと。言っとくけど、かなりキツくて苦しいと思うよ。そのデカさだと」
 結華はごくっとツバを呑む。
「そうやって、島村に興奮を与えないようにするしかないわ。大会になれば、種目はまったく違うから直接プールの上で会うことはない。みすずが泳ぐときだけ、島村が注意して見ないようにすればいいだけ」
「それで、でき、るかな。あたしに」
「やるしかないんじゃないの。辞めたくないんでしょ? 島村に去勢してくれってのも無理なんだし」
 さっくりと、結華は言いきる。そしてイスから立ち上がると「ほら、行くよ」とみすずをうながしてきた。
「行くって、どこへ」
「一階の公衆電話。あそこにタウンページがあるでしょ。それでコルセット買えそうなところを探すの。ほら、急がないと昼休み終わっちゃうから」
「う、うん」
 みすずは片手でぎゅぅ、と胸を押さえて、結華のあとを追いかける。