執筆リハビリ1「ゆら×イラ」*2

「くぉの、ばっかやろぉぉぉぉぉーーっ!」
 背後から投げつけられたスイミングゴーグルを、うしろに目がついていない光生はもちろん避けられなかった。
 むしろ声に反応して振り返ったら、ちょうどまぶたにぺちんっ、と。
「――――っ」
 片目を抑えて、光生はうずくまる。そして無事なほうの目で、犯人の姿をとらえて――水着姿だ――すぐ目をそらした。
 だけじゃなくて、もう足もこの場から、学校の玄関から離れようと向きを変えている。
「逃げるなよ! バカ光生!」
 だが起き上がる前に、光生はシャツを掴まれた。
「みすずお前、なんて格好で」
「なに勝手に部活辞めてるわけ!? 退部届ってなに、一身上の都合ってなに!?」
 ゴーグル投げの犯人、みすずはわめくが、光生は顔をそらしたままでまともに向き合っていない。
 みすずは競泳用の水着姿で、全身まだ濡れたままだった。帽子を取ったばかりなのか、髪にきつくクセが残っている。
「お前には、関係、ないだろ」
「なんだよそれ」
「いくら幼なじみだっつっても、なにからなにまで俺に構おうとしなくったっていいだろ」
 ようやく光生はみすずの手首を掴んで、剥がそうとする。
「確かに、あたしにも鬱陶しかったとこはあったかもしれない。そこは謝る、ごめん。――でも!」
 だがみすずの拳は、よりグィ、とシャツを――光生を引き寄せる。
「納得できない! だって光生、小学校からずっと水泳部で、中学でもいつも最後まで残って練習してて、夜中にプールに忍びこんで練習して怒られたりとかして。高校でも頑張ってて、タイムも一ヶ月前に自己ベスト出したばっかなのに」
 光生は答えない。うつむいたままだ。みすずの手首を握っている手が、小刻みに震えている。
「それに、リレーはどうすんの!? メドレーもフリーも。自由形のエースがいなくなったら、ガタガタだよね? 大会まであと何日もないのに、立て直すなんてできないよね? 他のメンバーだっていままで練習してき」
「泳ぐことは! いまでも俺、好きだよ。だから、『一身上の都合』なんだ」
 声を張りあげて、光生はみすずの話を遮った。初めてみすずの目を見て、でもすぐそむけてしまう。
「わかんない、わかんないよそんなの。ちゃんと言ってよ。いまの光生、逃げてるだけだよ。今日だって、こそこそ帰ろうとして」
 今度はみすずも、顔をうつむける。
「あたしなら、光生と付き合い長いあたしなら、どんな理由でも受け止められるから。部のみんなには迷惑になるようなことでも、あたしは、だいじょうぶだから」
 シャツを掴んでいた手で、みすずは光生の手のひらを抱いている。
「……ほんとに、受け止める自信、あるか?」
 寝たふりかどうかを確かめるような細い声で、光生は訊ねた。みすずは、大きくうなずく。
 光生も少しうなずいて、自分の手を包んでいるみすずの手を放した。
「俺、さ。ダメなんだよ。意識しちゃダメだってずっと思ってきたけど、どうしてもできなくて。……中学のころは、そんなに気にならなかったのに。高校になって、その、一気にそだっ――大きくなったように見えて」
「なんか、話がはっきり見えないん、だけど」
 こわごわ、話す気を削がないように、いらだちをみすずはぶつける。
 それでも、光生に火をつけるには、充分だった。
「お前の――!」
 がば、と立ち上がって、光生はみすずを見下ろす。
「お前のおっぱいが大きすぎて気になって泳ぎに集中できないんだよ俺は!!!!!!!!」
「ぇ……えええっ!?」
 反射的に、みすずは腕で胸を隠した。でもとっくに、光生はみすずに背を向けている。
「気になって気になって、息継ぎのリズムも崩れて、それにこのままじゃ変態だし、俺は真人間になりたいから、もうお前と同じ水泳部にはいられないんだ!」
「で、でもタイムは高校でも順調に伸びてるじゃない! べ、だ、だからべつにあたしがいたって」
「調べてみろよ。記録出した日はお前が泳いでない日なんだよ」
 そして光生は、上履きのまま外へ駆け出していった。
「光生……」
 みすずは呆然と、走り去っていったほうを見送った。それから、自分の胸元に目を落として――大きく、ため息をついた。