「わたしたちの田村くん」1巻・2巻(竹宮ゆゆこ/メディアワークス)

わたしたちの田村くん (電撃文庫) わたしたちの田村くん〈2〉 (電撃文庫)

 周回遅れの人生を生きるオイラがようやく読んだ、昨年度の超話題作。
 正直、あーきっといわゆるザ・ラノベな感じのラブコメなのね、程度に思って読みはじめた。
 ――甘かった。かなり甘い見通しだった。ボッコボコに心を殴られた。
 そしてふと思った。2ちゃんの連中が「耳すま」見ていつも死にたいとかいう感想を漏らすのは、こういうメカニズムなんだと。全力で異性にぶつかれなかった者が、全力で異性にぶつかっていく者を見て消沈していくことなのだと。
 でも読んでダメージを受ける、その痛さが好きで。そういう楽しみかたってあるよね。自虐的ではあるけど。そもそも俺は痛いのは好きなんだよ。フィクションのストーリーを自分になぞらえないから、純粋に受け手として、痛さを楽しめるんだろうけど。


 作者の竹宮さん――響きが好きなのでこの先は「たけゆゆさん」で通させてもらいますが、彼女が俺をグロッキーにしたのは実に巧妙な手口だった。
 ラノベブコメという読む前の評価は、実は100パーセント外れているとも言いきれない。なぜなら、ヒロインたちを造詣する文法が、ラノベの――というか美少女ゲームのそれなのだ。まあ彼女が元ゲーム屋ということで、そのへんは多少、避けられないことではあるんですが。
 それを特に感じたのは、ヒロインふたりの設定に関して。最初のヒロイン、松澤小巻は「事故で家族を全員亡くした天涯孤独で、失うことを怖れている」少女。あとから出てきたヒロイン、相馬広香は「美貌ゆえにいじめられていて、裏切られることを怖れている」少女。……まあ正確ではないかもしれないが気にしないよう。
 そう、ポイントは、「ふたりともが、なんらかの弱さを抱えていること」にある。トラウマ、というと語弊がありそうだが、ようするにその弱点に触れると、とたんに弱々しく、あと少しでもダメージを与えたら消えてしまうんじゃないかと思うほど弱々しくなる。そういう弱点。他人に対して本来隠したくなるたぐいのもの。
 これには――どことなく美少女ゲームっぽいにおいを感じる。オタクは自分より弱い女の子しか愛せないとはまま言われていることですが、俺の目から見て、当初の彼女(ヒロイン)たちはそのようなものに映った。


 だけどそれは、ほんの出発点にすぎなかった。
 たけゆゆさんの恐ろしさは、2巻の209ページにおいて爆発する。

 想いをこめたお守り袋を捨てさせる決意をした松澤。
 意地でも強がって、「本当の」涙は見せない相馬。
 相馬も、松澤も、俺の好きな女の子は、本当に強くて逞しいのだ。そうあろうとして頑張っているのだ。俺は今まで二人のことを、『弱々しく泣いている、助けてあげなくちゃいけない女の子』だと思っていた。だけど手を伸ばしてみれば、そんな女の子の姿はまるで幻だったみたいに、勢いよく弾けて消えた。
 かわいそうな女の子など、いなかったのだ。
 いつだって弱々しく泣いて、助けを求めて、情けなく逃げ回っていたのはこの俺だった。俺が一番、弱かった。

 長々と引用しましたが、どうだろう、この文章。俺にとっては、今年一番の衝撃だったわけですが。
 俺がラノベブコメだと思ってて痛い目見たのはここで、つまり、ただのラノベブコメだったらこんな転換はしないんですよ。女の子は男の子にとってずっとかわいく、いつだって男の子のなにかに助けられたり救われたり癒されたりして。男の子も自ら積極的に痛みに向かって行こうとはせず、むしろ誰も痛くない解決法を求めて、だから誰かひとりを積極的に選んだりせず、現状維持のままハーレムエンドくさい方向へ行く。
 だけどたけゆゆさんは、そんなドリーミンな展開は取らなかった。もっと生っぽい、男の子だって同じように弱いんだという展開を取った。
 ラノベブコメの文法を使っていながら、こういう方向へ持ってこられるとは、俺は予想していなかった。ライトノベル的超常で中和することもせず、生のままぶつけられるなんて。
 田村が自分なりに悩んで結論をちゃんと出せたり、松澤が口にできなかったことを口にしたり。
 ――ただかわいかったり、ラブラブイチャイチャネチョネチョするだけのラブコメではなかった。
 パワーを要するブレイクスルーに満ちた恋愛風景を切り取ったこの話は、単なるラブコメではない。きわめて人間のにおいのする小説だと言えるだろう。