中途半端に小説テクニックを知っている小説家志望者の「酷評」は、プラスよりもマイナスのほうが多い

 耳に痛え。うなずける部分もあるだけに。
 誉めメインでやったほうがいいというのもわかるんだけど……それをやりすぎると、ただのぬるま湯の馴れ合い/もしくは誉め強制の空気みたいなのができてしまうことがあるんだよなあ。
 作品の完成度を上げたい場合と、行きつける次元のマックスを上げたい場合とではまた違うんだろうけれど。書きあがったあとのものを読むときは、完成度上昇に主眼を置いて、誉めより弱点指摘とかのほうがいいと思う。プロットとかあらすじを見せられた場合こそ、酷評しないほうがいいときだろう。あれダメ、これダメで変に小さくまとまられるよりは、どこかひとつでもいいところを伸ばして突破させるほうがいい。
 まあ問題は、書きあがったものがどう見ても1次落ち次元だった場合だよな。これは完成度を上げても1次通過程度にしかならないらしいし。根底から変えろって指摘になっちまうわけだ。んー。
 ところで俺のいいところってなんなんでしょうね? え、そんなもんない? 笑えない笑えない(逃)