兄妹日和 その4

 この場合、長きにわたる封印が解かれた――なんていう、冒険譚的な勇ましい表現が似合いそうな気もするのだけれど。
 そう言うにはあまりに、物置はホコリだらけだった。
「うえっ、えへっ……ぺっぺっ」
 重いドアをいっぱいまでスライドさせたまなみは、とたんにホコリに襲われた。むせ返ってしまう。
 まったく、百人乗っても大丈夫なものを作るくらいなら、百年たってもくさくならないものを作ったほうがいいんじゃないだろうか。
「マスクかなんか取ってくればいいんじゃねえか。あと軍手も」
「うるさいなぁ。おにいちゃんは見てるだけでしょ!」
 声を張って、まなみは拒む。いまさら優しくしてこっちの気を引こうなんて、甘すぎる。
 しかしそれにしても……物置のなかの状態はひどかった。規則も法則もなく、乱雑に未整理のまま、物が積み上げられている。大が上に、小は下で潰れ。縦も横もなく、隙間を埋めあっているだけ。
 個人的な法則のあるゴミ屋敷のほうがまだマシなんじゃないだろうか。突いたら、それだけで全部崩れてしまいそうだ。そういう危うさが、漂ってくる。まるでジェンガだ。
 この家で収納を担当しているのは、母親のしづ江だから……おそらく、これも彼女の所業だろう。航のあの器用さを考えると、彼女の特質はまなみに来ている可能性が高い。できれば、劣性遺伝でどちらにも伝わってないのが望ましいが。
 まあ、罵っていてもしかたがない。さっさと探し出して、こんなところとは早くオサラバすべきである。まなみはこぶしを固めて、第一手を突っこませる。本来なら頂上から取るのが正しいのだが、まなみの背丈では残念ながら中段から取るしかない。
「う……おお、ぅ」
 最初のミッションは、成功した。靴の箱だ。引き抜いただけでホコリが立ち上る。顔をやや背けて顰めながら、まなみはフタを開ける。
 中身は、ガラスの容器、4つだった。確か、有名な洋菓子店のプリン容器だ。一説によると、多くの客が食べ終わったあと捨てずに取っておくという、あの容器。なんでそれが物置の、それも靴の箱に入っているのか。
 乱雑な塔を、まなみは見上げる。これからずっと、こういう調子が続くのだろうか。
 ぞっとした。
 いっそ、崩してしまったほうがやりやすいかもしれない。そうだ、隠し場として恒常的に使っているなら、ブツは比較的ホコリをかぶっていない可能性が高い。見た目からわかりやすく、判断できるではないか。
 そうと決めたら、実行あるのみ。まなみは、物置の斜め前の位置に移動した。
「ん? お前なにを」
 航が感づこうとしている。急がねば。
「どぉおぉりゃぁぁぁぁぁああぁっ!」
 鋭いローキックを、まなみは塔に叩きこんだ。そしてすぐに、顔を覆って後退する。
 バランスを失って、塔は想定通り、崩れてきた。
 ただその勢いは、まなみの想定以上だった。下がりながら、ひっくり返ってしまう。
「お前バカ、なにして――っえっほげほっ」
 巻き上がるホコリに、航までもが咳に見舞われる。空気の色が見るからに白く、変わっている。恐ろしい。このパワー、世が世なら兵器として通用するんじゃないか。
 そのなかで、塔の残骸が、物置の前に散乱していた。まなみは近づいていく。
 主に、箱が多かった。靴の箱、ダンボール、お菓子の箱、あとなんだかわからない箱。もちろんそれだけではない。ビーチパラソル、ビニールプール、カーペット、カーテン、折りたたみイス……どれも例外なく、色褪せていたり、ホコリまみれだったり。ああ、なんだかほんとにゴミ屋敷だ。物置は白崎家のゴミ置き場だったのか。
 そのなかで、まなみは白い、綺麗な箱を見つけた。拾い上げる。桐の小箱だ。ティッシュ箱なみの大きさのそれは、撫でてもほとんどホコリの感触はしなかった。比較的、新しいということだ。
 躊躇せず、まなみは開けた。
「……」
 言葉が、なかった。
 それらは、しなびていた。しなびた、細長いゴム製のものが、束になって寝そべっていた。風船みたいだけど、それにしては長すぎる。それに、先端のほうがやや大きい作りになっている。
 いや、これはまさか――まなみとて11歳ではあるが、そこそこの知識は――
「お、おにいちゃん、これ」
「あ? なんだよ。なんかあったか」
 うしろから、航も覗きこんでくる。
「ここここれ、まさかコココココンドゥドゥウウ」
「なんだ。ジェット風船じゃねえか」
 風船。舌の回らないまなみに向かって、航ははっきり、口にした。
「え?」
「ほら、甲子園でラッキーセブンのときに上げるだろ。6年前ぐらい、一度甲子園行って、そんとき持って帰ってきたやつだよ。お前が持って帰るって聞かなくて。あんときお前、迷子になって警察署に保護されてたりとか、散々だったんだぜ――ってお前、なに顔赤くしてんだ?」
「か、関係ないでしょっ!」
 この実兄ときたら、こういうときの勘がムチャクチャ鋭い。まなみは苛立ちを隠せぬまま桐箱にフタをして、そこらへんにぽーんと放り捨てた。
 そうだ、最近野球なんて全然興味ないから忘れていた。確かにそういう風船があった。なんだってそんなまぎらわしい風船があるんだろう。野球界それ自体もエロなのだろうか。
 本題に関係ないことに時間を割いていてもしょうがない。まなみは次なるターゲットを模索する。
 あろうことか、まだ物置のなかには、ごちゃごちゃと色んなものが残っていた。異次元なのかここは。明らかに物置の容積を超えた量が入っている。あるいは、詰めた人が魔法使いか手品師ならば可能かもしれないが。とにかくわけがわからない。存在が常識を逸脱している。
「どうでもいいけどよ。これお前、ひとりで片づけられんのか」
「なに言ってるの。おにいちゃんも手伝うんだよ。もとはといえば、おにいちゃんがコレの原因を作ったんだからね」
 振り返らず、まなみは答える。物置の床に足をかけ、深部に手を伸ばそうとする。手前の山がお腹につかえて、なかなか届かない。
「いや、だからだなぁ……なんつーか、家族ってエロではないだろ、っていうか」
 なにか航がぐちぐち言っているが、ほとんどまなみには聞こえない。目ざとく見つけた新しそうなブツを取るために、まなみはつま先立ちになって、体を突っこませる。あと少し、あと少――
「え――わぁああぁっ!」
 勢いよく、天地がひっくり返った。
 頭が下に、足が上に。ここが体育館ならナイス前転だったのだが、残念ながらそうではなかった。
 同時に、まなみのまわりであらゆるものが崩れていく。もうもうとホコリが降ってくる。モノも降ってくる。足にぶつかっている。
「お前、だいじょうぶかよ……ってすっげえホコリ」
 航の手が、まなみの足を掴む。スパッツはいててよかった、とまなみは妙に冷静なことを考えていた。
 物置からやっとのことで引きずり出され、まなみはツバを吐いた。それでもまだ、口のなかが気持ち悪い。両手で服を叩くがなかなか白いのが落ちない。航の手も一緒になって、まなみの体を叩いている。
「……変なとこ、叩かないでよ」
 小声で、まなみは警告する。が、小さすぎて航には伝わらなかった。
「ようやく全部出ました、って感じだな」
 目の前の惨状を眺めて、航がため息を吐いている。
 もうすでに、ひとことでなんなのか表せられないものもあった。パンパンに張った黒いビニール袋、孫の手を持ったクマのぬいぐるみ。ベビーベッドの上に設置するぐるぐる回るやつは、飾りが全部取れて骨組みだけになっている。
 そのなかで、まなみはピンク色の物体を見つけた。
「ん?」
 拾ってみると、赤い水玉模様が描かれているのがわかった。汚れすぎて、遠目ではわからなかった。つるつるとした質感の上に、ざらついたホコリが乗っている。
 まなみは、物体の正体に気がついた。