昨日、オフのイベントに絡んでなにか書く――などと書きましたが。
 実はイベントっていったって、まったくたいしたことはしていないのですよ。
 日本橋の書店のラノベコーナーやらエロゲコーナーやらを巡回して、メイド喫茶に行き、石野邸に行っただけで。本当にイベントと呼べるようなものはなにもないんです。ラノベのストーリー構成なら「起伏がない」と言って確実に撥ねられるほど。なにもない。


 そんななかで個人的に考えこんだことが2回ほどありまして。
 1回目は、某書店で「おおきく振りかぶって」の宣伝ポップを見たとき。いきなりピーンときてしまいました。
 これまでオイラ、主人公・三橋はへたれだけど、まわりに焦点を多く当てることで、主人公がへたれであることの読みにくさを解消しているのだ――などと、過去ログでも言ってきたんですけど。
 まったくもって肝心なことが見えてませんでした。
 三橋がへたれであるにも関わらず読者に受け入れられているのは、「がんばってるから」なんですよね。
 すぐ泣くし、いつもなにかにおびえてるけど、野球が好きで。大好きで。みんなから嫌われていた中学時代さえ、うまくなるためにずっとひとりで練習/努力していた。そういうプラス要素の下地があるから、三橋は「読める」んです。


 かたやオイラときたら――身内の人は知ってるでしょうけど。オイラの書くへたれってのは、とにかく努力はしない。義務を行使せず権利ばかり主張するのは青臭さの象徴としていまでも描かれますけど、まさにそのかたち。自分で向上しようという意欲を見せず、まわりの状況に愚痴たれているだけというのが多い。
 そこまでひどいからこそ、「巻島はへたれの第一人者だ」などと言われたりもしたんですけど。


 まーようするに、へたれを読ませる方法として「大勢にまぎれさせる」のではなく「そいつ自身に好感要素をつける」というやりかたのほうが、まっとうだし共感も得られやすいだろいということではないかと。どんな人でも多少のへたれ要素は持ってるわけですし。




 2回目は、石野邸で某文庫の某小説(タイトルはまあ、べつにいいでしょ)を読んだとき。
 登場キャラが全員電波で、オイラは「これ面白くなるんですかぁ?」などと言ってギブアップしてしまったのですが。
 しかし、電波は電波なりに、行動原理が整っていればまた読めるのではないかと思うのですね。というか、たぶんあの話もじっくり読んでいれば、ある程度のキャラクタの筋が見えたのではないかと思うし。読んでないから仮定ですけど。
 まあ、いまだから白状しますが……あの小説を読めなかったのはキャラだけでなく、説明が足りてなかったからでもあります。説明抜きで話を進めるセンスは石野さん同様、俺も一定評価しましたけど……でも最低限、理解を補助するぶんの説明はないと読めません。少なくとも俺は。


 電波キャラにおける筋、というものになぜこんなにこだわっているかといいますと、実は俺、去年の夏に電波キャラで失敗をしたのです。
 ここの一番上にあるやつですけれども。タイトルが山田とかいうやつ。hp短編賞で、万年ワナビの貫禄たっぷりに失敗作として当然のごとく一次で落ちたやつです。
 なにが失敗だったのか。根本的にサムい話だったとか、主人公の変化量がしょぼかったとかの理由もあるんですけど、最たるものはやはりヒロインの電波が筋通ってなかったからだと思うのです。
 相手が嫌がっているのに、なぜ惚れてる相手をいつも実験台にしてしまうのか。ぜんぜん意味不明。
 これが例えば、いつも実験台にしていて、男からは惚れられてるけどそれを突っぱねてて、でもクライマックスでちょっとデレっとさせたりなんかするとツンデレの系統にはまるんですけど。俺のやったことは、そういう筋的なことをまったく外している。
 つまり、行動原理が一貫してないわけで。それじゃあアカンだろうと。


 電波キャラは読めない読めないなどと言ってきましたが、実はトリックスターとしての電波キャラは好きです。話を進めるのにも役立ちますし。ともかく修練修練ってことで。