兄妹だもの

「ごちそうさま」
 そう言って、まだシチューが半分以上残っている皿を、祐樹は流しへ運びだした。
 朋香はそれを、怪訝な目つきで眺める。
「ユーキ、はらいた?」
「そうじゃないけど。あんまり」
 手を顔の前で振って、祐樹は否定する。祐樹の眼鏡に、肌色がひらひらとひらめく。
「どうしたの。おいしくなかった?」
 母親の問いかけにも、同様に手を振る。
「食欲がないんだ。明日食べるから。ごめん」
 皿を置いて、祐樹はダイニングを出ていった。階段を上がる音が壁越しに響いてくる。
「顔色はべつに、悪くなかったわよね?」
「さあ」
 母親と顔を見合わせて、朋香は首を傾げた。
 目を泳がせて、左手の指で右肩あたりの髪をくるくるといじる。口にスプーンを突っこんで、手を止める。
 双子だからといって、なにからなにまでわかるわけではない。
 急に、テーブルが震えた。
 いや。震えたのはテーブルではなく、置いてあったケータイのほうだった。メール配信を知らせるけたたましい音が鳴る。
 つかむと同時に、朋香は親指で弾いてディスプレイを開く。
 画面には、『竹内里子』とあった。
「なんだろ」
 ケータイのボタンを、押す。
 ――数秒後。朋香は小鼻を膨らませた。


 右手を天井に向けて伸ばして、祐樹はベッドに寝転がっていた。眼鏡は枕もとに外してある。眼鏡の隣には生徒手帳がある。
 伸ばされた指の先には、四角いものがつままれていた。表面がつやつやした、白い長方形の紙――写真の裏だ。それを祐樹はジッと見上げている。誰が映っているのかはわからない。顔の横に、四角い影が落ちている。
 祐樹はすぅ、と、写真を動かした。
 影が、目の上にかかる。目を細めて、凝視し続ける。
「はぁ」
 ため息が漏れた。
 祐樹は腕を下ろす。見ていたものを、生徒手帳の上に重ね置く。
「ユーキ、ゲームしよう」
 そこで、いきなりドアが開かれた。
「わっ」
 跳ね起きて、祐樹は朋香のほうを向いた。後ろ手で枕の下にブツを隠す。
「ノ、ノックぐらいしろよ」
「いいじゃん。そんなメンドーなこと。それよりなに隠したの?」
「なにも隠してないって。それよりなんの用が」
 言いながら、祐樹は眼鏡を拾いあげ、かける。
 が、かけてから、それを下にずらした。フレームを持って、何度も眼鏡に上下を往復させる。
「なにやってんの」
「え、や、それ、まだあったんだ。どっから引っぱり出してきたんだ?」
 祐樹の視線は、朋香の持っている箱に向けられている。
 箱には樽と、バンダナ・眼帯・口ひげの海賊が描かれている。
「偶然見つけたんだ。物置がクサいのなんのって」
 鼻をつまみながら顔を顰めて、朋香は部屋に入ってくる。
 ベッドの前で、どっかと腰を下ろす。
「ひさしぶりにやろう。懐かしいしさ」
「あ、あ、ああ」
 戸惑った表情を浮かべながら、祐樹は相手の提案を受け入れた。


 放物線を描いて、海賊が祐樹の前に落ちる。
「うー」
 手のひらサイズの赤い短剣を額に当てて、朋香はうなる。これで四連敗となってしまった。
「やっぱユーキってすごいわ。頭いいしね」
「運だろ運。頭とか関係ないっての」
 樽を抱えて、祐樹は一本一本短剣を抜く。
「にしてもトモさ、この部屋に来るのいつ以来?」
「んー、半年ぶりぐらいかな。あ、手伝うよ」
「半年ぶりに来て、やることが『黒ひげ』かよ」
 ふたりは揃って、作業に没頭する。
「なんだって、こんなことしようと思ったんだ?」
「遊ぶために決まってんじゃん」
「それは、そうだけどさ。にしたって『黒ひげ』……」
「なにをぐちぐち気にしてるの?」
 やがてすべて抜き終えて、朋香は黒ひげを手に取った。ぐりぐりっと底へ押しこんでリセットをかける。
 第五戦がスタートする。
 交互に刺しあって、順調に試合は進んでいく。
「黒ひげってさ、けなげだよね」
 終盤戦に差しかかろうというころ。不意に、朋香がそんなことを言いだした。
「何回落っこちても、また元のところに戻ってチャレンジするんだ。当たって砕けろ精神のカタマリみたいなもんだよな」
 緑の短剣を、朋香はくるくると回す。
「……」
 祐樹は手を止めて、回る短剣を見つめる。
 フレームとこめかみの間に人差し指を出し入れする。
 瞳を鼻のほうに寄せて、宙を見る。短剣の先を親指で弾く。
「ああ、わかった。竹内だ。あいつから聞いただろ」
「なんのこと?」
「とぼけるなよ。確かに今日あいつ現場にいた。いま思いだした」
 もてあそんでいた短剣を、祐樹は樽に刺しこむ。これで、一ヶ所を残してすべての穴が埋まった。朋香の五連敗が確定した。
「あのなトモ、当たって砕けろってやりかたはな。百パーセント失敗するってわかってる場合には絶対やっちゃいけなだろ」
「なんで」
「だって、ムダ死にだろ」
「違う。百パーセントの根拠は? ユーキの好きな人と一緒に歩いてた男子が、カレシだっていう根拠はなに?」
「そんなの、見ればわかる――ってやっぱり知ってんじゃないか」
 身を乗りだしてきた朋香に対して、祐樹は目をそむける。
「訊きもしないでわかるんだ。ユーキってエスパー? へぇすごーい」
 朋香は一転、腕組みをして背筋を伸ばした。顔まで反らして、相手を見下ろす。
「いいかげんにしろよ。人の気も知らないで。そっちになにがわかるってんだ。早く出てけ」
「まあそうカッカしないで。これからユーキに教えてあげるから」
 そして、朋香は最後の短剣を手にした。親指に乗せて上に弾いたあと、威勢よくキャッチする。
「世の中に、絶対はないってこと。これでユーキもわかるんじゃない?」
 剣先を穴に当て、一気に突き入れた。
 ――黒ひげは、ぴくりとも動かなかった。
「どう?」
「……」
 祐樹は樽を見ながら、面食らった顔をしている。
「母さんのせっかく作ったものを残すぐらいなら、ちゃんと訊いてこいよな。わかった?」
 言いながら、朋香は立ち上がる。祐樹のほうはもう見ない。
 部屋を出て、ドアを閉めた。
 ふう、と息を吐く。肩がだらりと弛緩する。
「強く押したらバネが利かなくなるの、ホントに忘れてやがった」
 廊下を自分の部屋へと歩きながら、朋香は呟く。
「世話焼かすなよ。お兄ちゃん」