さよなら、トルネード 〜野茂英雄引退へ〜

この道をゆけば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる

 いきなり猪木の引退のときのポエムを引用してしまいましたが、MLBイオニアとしての野茂英雄を語るにおいて、やはりこの詩のような感覚を抱かずにはおれません。
 監督だった鈴木啓示との確執、前時代的な経営感覚だった近鉄フロントとの対立などから任意引退扱いとなり、以前から憧れていたMLBへ挑戦する(この当時は文字通り「挑戦」だった)ことになった野茂。マイナー契約で、年俸は10分の1以下。4年連続最多勝も取った選手に対してなんたる扱い――といまは思うかもしれないが、当時としてはこれもいたしかたなかった。NPBアメリカ人に完全に舐められていたからだ。おそらくは、3Aクラスの選手が日本に助っ人として雇われていき、大活躍するケースがゴロゴロあったからだろう。NPBは3Aクラス、という見方が大勢だったのだ。
 そしてそれは日本のスポーツマスコミも同様で、野茂がドジャースと契約したとき、野球評論家と名乗るほとんどの輩は「野茂は通用しない」という見方をしていた。それはあるいは、近鉄退団の経緯が前時代の野球選手でもあった彼ら評論家にとって「わがまま」に映った側面もあるだろうし、あの独特の投球フォームをまだ認めたくないやっかみもあったかもしれない。
 ……結果はご存知のとおりである。
 1年目からオールスターの先発を任されるなど、およそ日本のMLBファンの期待をさらに高く裏切るような次元で、野茂は結果を出した。野球に肥えた&個人主義の氾濫しているアメリカ人でさえ見たことのなかった独特な投球フォームで、多くのアメリカ人に「Hideo NOMO」を認識させることに成功した。


 個人的に、この一連の出来事で、オイラは「マスコミは、汚いものだ」ということを初めて学んだ。野茂が大活躍するにつれて、あれだけネガティヴカラーが強かった記事の調子が、掌を返すように褒め称えるように変わったからだ。そしてそのことに対して、なんの悪びれも見せず。
 当時まだ中学生で、インターネットもまだ世のなかになく、マスコミの言ってることの検証も満足に出来なかった時代・年齢のなかで、そういうことを学ばせてくれたことは非常にありがたかったと思う。


 ベネズエラのチームにまで所属して、燃え尽きるまで野球をやりきろうとしたその姿勢、切り拓いていく姿勢をオイラも見習わなきゃぁなあと思う。
 今後はNOMOクラブで投げてくれないかな。少しでいいから。社会人野球を盛り上げるという設立当初の目的を考えたら、充分ありえると思うんだけど……