物語二項論

 先日、ここでも報告させていただきました新作の件ですが、おかげさまで自分が思ってたより好評な感想をいただいており、俺としましてもなかなか気のいいところであります(感想をいただけたのは現在おふたりだけですから、成果として語っていいのかわかりませんが……)


 その一方で、この話を公に投稿してからちょっと、自分でも気になってたことがありました。
 ずばり、主人公の性格について、なんですけど。
 今回の話、まあ読めばわかりますし、投稿報告でも言ったんですけど、かなり自分の置かれている状況というものを受け入れているんですよね。避けられる自分というものを、理屈ではわかるということで否定してませんし。
 便宜的に、こういう状態のことを「適応」あるいは「順応」と表現しますけれども。
 で、投稿してから、いつものように自作への反省を重ねるなかで、「……こういう受け入れ状態より、もっと抵抗性を見せていったほうがエンタメになるんちゃうかな」と、考えたわけです。
 いわゆる少年マンガ主人公的な感じというか。彼ら主人公の育ち/暮らしてきた世界で常識/規範となっている概念を突破していくことで、新しい地平を切り開いていく=目的や夢を達成していく。そういうもののほうが、いいんじゃないかと。
 常識や規範を破っていくということは、いわゆるアウトローです。そして今回の話の主人公も、病気によって町から阻害されている点で、アウトローであると言える。
 自分たちを避けていく町の人たちに向かって吠えてみたり、定期検査をエスケープしてみたり――そしてそういう流れのなかで、町を出るための準備/行動を重ねていって。
 確かに、行動に筋が通ったように見える。
 

 ここで、はたと俺は立ち止まったわけです。
 適応していく有様を書く青春小説だって、あるじゃないか、と。
 これまで、杉井さんの素人時代からの一連の物語を読んできた経験が効いてたのかどうかはわかりませんが、ともかくそういう、個人の力ではどうしようもない、動かしがたいばかりの世界の大きさとともに、そこに小さな個人がどうやってもがきながら合わせていくかという――そういう話だってあるわけで。
 いわゆる「せつない系」とか言われるのはほとんどがコレですよね。不治の病とか。人間の力では覆せない。


 結局、今回の話はどっちからも攻めることは可能だったと思うのです。そしてどっち側から攻めても、ラノベとして成立できる。
 ただ、ああいう迫害環境というのが、人間が意志を持って作りあげた以上、やはりそれは覆したり抗ったりすることができないなんてものじゃないと思うのですよね。
 そういう点で、自然さということから見て、もっと反抗寄りであったほうがよかったのかも……