「天使のベースボール」(野村美月/エンターブレイン)

天使のベースボール (ファミ通文庫)

 2年前、みやびさんから「へたれ流され系主人公モノとしてこんなのもあるよ」と紹介されて。それから1年後、思い出して購入。
 そして読んだのは昨日。……どんだけユルい時間のなかで生きてるんだろうね、俺は。おかげで当時とは俺の意識が変わっちゃってるよ(苦笑)
 当時の俺は、いかにして自分の個性である「ひどいへたれ属性」をキャラ造形に生かせないかと考えていて、へたれそのものが持つ非好感性をいかに処理すればいいのかということをあれこれ悩んでいたのですよ。現在はその道はほとんど捨てたんですがね。なにがなんでもへたれを主人公格に据える意味はべつにないやと気づいて。


 で、まあ、なんだ。確かに主人公はへたれだし流され系だった。んだけど。
 はっきり言えば、へたれそのものの芸によって読みやすくしているのではなかった。へたれの周辺をいかに造るか/運ぶかということで、相対的にへたれの非好感性をごまかしていた感じ。(べつに非難してるんじゃないよ、念のため)
 まず流されかたがちゃんと、流されてもしかたないよねって感じの怒涛展開になってる。許婚から婚約破棄の上実家は倒産→教師に就業という。まあそのあと酔った勢いで男子生徒(野球部)の家に連れこまれ云々というところは強引かなぁと思うけれど。降りかかってくる状況が大きければ大きいほど自律思考ができなくなってしまうというのは、一定、世間からの理解はもらえると思うのよ。
 まーあとは、根本的な問題としては、男読者の場合、女の子のへたれは許してしまいやすい土壌もあるかもなぁ、と。男尊女卑思想とか言われるかもだけど、頭の悪くてかわいい女を見ると、男のなかには、俺がどうにかしなきゃ的な尊大な意識がばーっと出てくることがあるんですよ。ようするに、「恋愛の対象を弱く書く」というテクニックのひとつなわけですが。
 これ、例えばそのまま性別入れ替えた設定で書いたらどうなるだろうねえ。主人公は童顔青年で、女子校のソフト部がどっかの顧問を流されてやるという。……うーん。序盤はいけるかもしれないけど、中盤以降どこかで、主人公が主体性を発揮して女子生徒たちを救う展開にしないと、読み手はついてこらんないだろうな。俺個人はそういう既成概念的な性役割に縛られるのとか本当は嫌いなんだけど、エンタメ小説であろうとするならば、どうしても普遍的概念を考えて折りあっていかなくちゃいけないわけで。