「クビキリサイクル」(西尾維新/講談社)

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

 さて、俺とつきあいの長いかたならとっくに気づいておられるかもしれませんが。俺の読書傾向にはひとつ、ひねくれているところがあります。
 その、マイナー志向があるんですね。
 具体的に言うと、「自分が読む前に評価されているものを、積極的に読まない。むしろ知名度の低いものを読んで、隠れた傑作を探そうとする」というものです。ジャンプの季刊増刊を買う趣味、というのはそのあたりから来ているわけなのですよ。こうしたマイナー志向自体はけっして珍しい概念ではなく、例えばアイドルオタでも、売れる前のアイドルしか応援しない人はいますよね。
 そんなわけで、俺は長いこと西尾維新を放置してきました。どころか、「西尾読まないの?」と人に訊かれたときに、「たぶん読むことはないですよ。必要性も感じないし」などと粋がった言葉を吐いたりさえしていました。
 ただ、そうした考えに最近疑問を感じるようになりました。つまり、小説書きとして、メジャーをあまり知らないというのはどうなのか? ということです。それはなにも、その時代時代の売れ線を追いかけたほうがいいということではなくて、「面白さ」という概念に関する話というか。
 「面白さ」ってものは本来、個々人で基準が違うわけです。万人にとって「面白い」ものは、これはありえない。となると、「面白さ」の大小を客観的に計るには、単純な売れ行きで判断するしかないのです。最近の俺のテーマは「面白さってなんだろう」ですから、そういう意味では、メジャーに手を伸ばすのは当然の流れのわけで。


 で、読んだのです。
 まあまず思ったのが「俺は犯人探し小説とかぜんぜん読んでこなかったな」ということ。これはべつに悲観してるわけじゃなくて。むしろ読んでこなかったので、逆にそういう系統の小説を面白がって読めるわけで。それを「得だなぁ」と。
 それはさておき……んー、この話、なんだかとっても濃い。アクが強いとも言えるか。なにがどう濃いのかと言われると、結局キャラクターとその周辺設定なのかな。殺しっぷりもよかったけど。とにかく濃さのインパクトで読み手を牽引するタイプの話だと思った。そりゃ若いワナビには感染者も出るでしょうよ。太田さんが賞の選評で「西尾劣化コピー」とか書いちゃうわけです。
 あと、倦怠一人称がなぁ。あんなの見せられたらしばらく一人称書けないよ。文体に影響出そうだから。まあもともと、しばらくは自分を敷いた厭世系主人公はやめようと決めていたから、よかったようなものの。
 なんかあんまり迂闊なこと書けないな。読んでる人が多いものについていまさらあれこれ言うことは少し怖い。玖渚の性格設定について気づいたことを書こうかとも思っていたけどやめときます。