紀子さまに第3子ご懐妊の兆候

 これについてはまあタイミングの凄まじさというか、そういう典範改正絡みの政治的な話もあるんだけど、ここではそんな堅っ苦しいネタはしないでですね。オタクならオタクらしく(事実とはまったく無関係の)キモい妄想でもしようじゃないかと。
 まー秋篠宮家には年頃の女の子がふたりいるわけです。で、発表翌日も登校するわけですが、まずすぐ、クラスメイトからお祝いの言葉があるわけです。それに対して彼女たちはにこやかに、完璧な笑顔でもってお礼をします。さらに授業が始まって先生が入ってこられ、そこでもまたお祝いと礼が交わされます。そうやって学校のなかでその日はずっとあちこちでそれを繰り返すわけです。
 ところが完璧な笑顔とさきほど書きましたが、彼女たちはけして心のそこからお祝いに感謝なんてしていることはないのですね。いやもちろん理屈では、子どもが生まれるということは慶事である、ということは理解しておられますけども。よく考えてもみましょう。子どもはどこからやって来るのですかね? そして彼女たちは、いつまでもなにも知らない無垢な存在ではない。
 つまり、お祝いの言葉を誰かから言われるたびに、両親の――想像してしまうわけです。これは彼女たちの年代にとって、どれほど精神的負担なることか。
 つまり、素直に祝福しなければいけないという気持ちと、両親を不潔だと思う気持ちとで、ジレンマがあるわけです。そしてそのジレンマを抱えていること自体に、自己嫌悪を感じてしまう。
 ……思春期萌えの人間としては妄想が止まりません。世が世なら死刑ですすいませんすいません。