「僕はかぐや姫」(松村栄子/福武書店 isbn:4828832793)

 先日も言ったとおり再読しました。
 で、えー、「僕っ娘萌え萌え小説」として読むことも「百合百合小説」として読むことも、絶対に不可能ではないと感じました。でもそういう読みかたはあまりに表層的で、正直もったいないなぁというか。以下ネタバレしまくりで語ってみる。


 ようするに、自分の意図しないままに自分がカテゴライズされている、ということに対して「おかしいんじゃね?」という話なのですね。具体的には、性別のこと――「男」「女」というカテゴリ分けをされることに対する反発なわけですが。
 本来まず、「人間」っていう大きな括りがあって、みんなそれをもっとまず意識して尊重しようぜ、っていう。
 僕、って自人称を使うのも、他人を振り分ける判断材料としてまず真っ先に男女でカテゴライズされてしまうことに対する忌避感情から来てるものだし。単純な女性性の否定(男になりたいってこと)とは違って、性別それ自体を取っ払いたいっていうか。
 主人公が途中で女の子に恋してしまうというのも、男だから/女だからこそ惹かれた、という恋のしかたではなくて、純粋な魂同士、精神同士として惹かれたというか。ただまあ、読んだあとから考えると、この「女の子を好きになる」というエピソード、ちょっと「性別という概念を取っ払いたいという思考を体現させすぎているというか。作者の意図の介在が少なからず映る。
 百合ってのは、同性の女の子だからこそ好きになった、というものでなければいかんのだろうと思うのですよ、俺は。そういう意味で捉えるなら、主人公はけして相手が女の子だから恋したわけじゃなく、したがって百合とは言えないのではないかと。
 しかしこの話、舞台は女子高で高3という設定なんですけれども。社会に出るか出ないか、目の当たりにされてしまうかされないかというギリギリの空気感が心地よすぎる。あと女子高的世界も。性差を意識しないでいい環境下で動く女の子たちのスタイリッシュさというか、クールさというか。これは俺みたいなオッサンには永遠に体感できないもんだからなぁ。


 ああ、やっぱりうまくまとめられないな。とにかく「萌え小説」とだけ読むのはもったいないぜってことで。むしろ格闘小説ではないかと。純粋でありたいと願うばかりに、常識とか当たり前とか、そういうものと対しようっていう。また高3話書きたくなってきたなぁちきしょう。


 ……とまあ、ここまで書いておきながら、もっとちゃんとまとまってる文章を見つけたのでリンクしておく
 あと、amazonのページ見ていて気づいたのですが、もしかしたら絶版ではないのかもしれない。上は単行本版(当然文庫版より高い)のページなんですけど。正直、福武は文芸から撤退したときに本は全部絶版にしていったんだとばかり思っていたんですけど。違うのかな。