素直クールvsツンデレ*2 *3

 足で器用にドアを開けながら、宮野桜は生徒会室に入ってきた。その腕には、書類が山と抱えられている。
「うわっとと、っと、と……」
 開けたとたん、大きく前後によろめく。長い髪が背中で踊る。
「どうしたんだ。そんなに」
 すでに部屋にいた相川晶がすかさず立ち上がり、桜の腕を支えた。
「体育祭の各クラス予算案。あとはどうせ、判押すだけだから」
 大きく息を吐きながら、桜は長机に書類を置く。紙の束の上には、認可印と赤のスタンプ台が二セット、乗っかっている。
「しかし、判を押せるのは会長だけのはずだが」
「その会長様が熱出してぶっ倒れた以上、代わりにやるしかないでしょ」
 今朝、登校してきたばかりの会長は、生徒会室の前で桜に声をかけた。そして桜が振り返ったときには、もう倒れていた。そのまま保健室に収容され、一時間目のうちに家に帰された。
「日程的にはまだ二日ほど余裕があるぞ。急いでやる必要はあるのか」
 晶の眼鏡ごしの視線が、桜に注がれる。桜は書類の半分を取り、晶の前へ送る。
「二日しかないじゃない。それに、その二日で誰かさんが治してくると思う? きっとこのままダウンしっぱなしよ。あいつ、肝心なときにすぐこうなるんだから」
「治るか治らないかを断定しきるのは不可能のような気もするが……まあ、いいか。やるなら手早く終わらせよう。ここのところ、会長も働き詰めだったことだしな」
 事実、会長はここのところ、連日各クラスと予算の折衝に当たっていた。放課後はあちこちを駆け回り、帰るのはいつも七時以降。どの部活よりも、役員である桜や晶よりも遅くまで残っていた。
「べ、べつに、あいつを助けてあげようとか、そういうことでやるんじゃないんだからね。単に生徒会の仕事として、時間が押してるから――」
 だが、桜は妙に反論した。少々ツリ気味の目を落ち着きなく動かしながら、身振りつきで晶にアピールする。
「宮野は、ピンチの会長を助けたいという気はないのか」
「あ、当たり前でしょ。誰があんなやつのこと」
 桜はハンコをインクにぐりぐりと押しつける。
「しかし、この生徒会で誰よりも働いているのは会長だと思うのだが」
 晶は右目で、桜の顔を見据える。一方で左目は書類に向けたまま、せわしなく瞳を動かしている。
「あいつ要領よすぎるから、結果的にそうなってるだけよ。いっつもヘラヘラしちゃってさ。まわりに助けられてるだけよ。昔っからゼンゼン変わってない」
「それだけ、周囲の人間を惹きつける魅力があるということなんじゃないのか。その、助けられるということは」
「それは……そう、かも、だけど」
 言い返せないのか、桜はうつむいて口を濁す。
「それにな。宮野、会長がヘラヘラしているのは宮野がいるときだけなんだぞ。知らなかったのか?」
 だが晶の言葉に、がばりと桜は顔を上げた。
「え!? は、ははっ。変な冗談よしてよ、こんなときに」
「私が宮野に嘘をついたことがあるか」
 晶の右目に、かすかに力がこもった。
「宮野は会長と幼なじみだから、なんでも知っているつもりなんだろう。だが、あまり自分の認識だけを過信しないほうがいい」
「な、べつに過信なんて」
「ならなぜ、いつまでも会長の好意を無視し続けるんだ」
 ついに晶は、両目を桜に向けた。
「だ、誰が――」
 言われた桜は手を止めて、身をわずかに乗り出してきた。その顔は赤、というより薄桃色に近い。
「会長は宮野のことが好きだ。それも相当、年季が入っている。私だけでなく、おそらく生徒会の全員がそれに気づいている。本人はヘラヘラ笑って誤魔化してるつもりだが。しかし宮野は、それをまともに取り合おうとはしていない」
「当たり前でしょ! 誰があんなやつ」
「会長の心が自分から離れることはないと過信しているから、わざと取り合ってないんじゃないのか。じらせばじらすほど、自分の立場を有利にできると考え」
「いいかげんにしてっ!!」
 ドン! と桜は拳を机に叩きつけた。机の足の震える音が、小さく響く。
「今日はそんな話をするために残ってるんじゃないの! ハンコを押さなきゃならない書類はまだまだたくさんあるんだから」
 だがそれに動じる晶ではなかった。ずれてきた眼鏡を、中指で押して整える。そして。
「――じゃあ、私が会長を、奪っても構わないな?」
 至極冷静な口調で、宣言した。
「は……?」
 さっきまで怒気を含んでいた桜の顔が、呆けたものになる。
「宮野は、会長の心が自分から離れることはないと過信している。私は、それが本当に『過信』であることを証明してみせると言ったんだ」
「相川――あいつの、こ、と」
「私は会長のことが好きだ。愛している」
 その表情は、まったく揺るがない。桜をまっすぐ見つめて、晶は話す。
「あ、あいし……る……」
 異次元の単語に、桜の頭は処理能力が追いつかない。口のなかで何度も、声にならない言葉を転がしている。
「宮野がいまの対応を続けるなら、私は三週間で会長を変心させる自信がある。もちろん、無理矢理にするのでなくな。少しばかり、これまで遠慮していたが、明日からはどんどんいかせてもらう」
 そして晶は、再び書類の精査作業に戻った。
 桜は耳まで紅潮したまま、しばらく呆然としていた。しかしやがてハンコを強く握りなおすと、さっきよりも断然速いペースで認可印を押しまくった。