兄妹日和 その6

「なにぼーっとしてんだよ。続けなくていいのか? しないんなら、片づけちまうぞ」
 そしてまなみは、現実に引き戻される。
 目の前では、航がこっぴどく散乱した物置の中身を、一箇所に集め始めていた。ふたつみっつを一度に抱えて運び、テキパキと動いている。
 まなみは、かつては浮き輪だった物体を持って、航に近づいていく。
「おにいちゃん」
 航の背中を、見上げる。
 あのころより、お互い、大きくなった。身長の差も、いまのほうが短い。
 それでも、航の背中は変わっていない。けっして大きくはないけれど、まなみを落ち着かせてくれる。そんな雰囲気を持っている。いまでも。
「なに? どっかホコリついてる?」
 航はそう言って、背中を気にしだす。実際、航の背中から頭にかけては、白いものがついていた。
「う、うん」
 まなみは航の背中に手を伸ばし、払うのを手伝う。指先が航に触れる一瞬刹那、あたたかみが逆流してくる。
 その熱が、まなみの全身にくまなく渡る。
「だいたいでいいよ。あとで脱いで払うほうが早いしな……ってなんかお前、顔色おかしくねえか。さっき物置のなかで、どっか打ったか?」
 航が、真剣な顔つきで訊いてきた。
「ううん、うん、だいじょうぶなんともないどこも打ってないから」
 まなみは慌てて答えた。航のそういう顔は、なぜだか苦手だ。とくにここ最近。どぎまぎしてしまう。
 まったく、相手がエロだってわかってるのに、緊張してしまうなんて。不覚も不覚。恥ずかしいにもほどがある。なんのためにこんな、物置をひっくり返す真似までしたというのか。航はエロエロだと立証して、謝らせるためではないか。
「痛かったらちゃんと言えよ。自分でも気づかねえうちに血が出てたりとかあるんだから。こんな汚いとこに出入りしてたら、菌が入りそうだしな」
 そして航は、まなみの頭を軽く二度、ぽーんと叩いた。
 まなみは、しばらく動けなかった。
 ――わかってしまったのだ。
 あのときも、いまも。航はまなみのことを、気づかってくれた。
 “そういうこと”に、まなみは気がついたのだ。
「おにいちゃん、さ」
 動かぬままその場から、まなみは問いかける。
「ん?」
「その、おにいちゃんは、エロだよね。高校生の男子だから。エロだよね」
「そういう手で来たか。ま、健全な男子高校生って意味なら、人並みにエロいかもしれないけど……おっと、これまさか誘導尋問か? その手には引っかからね――」
 まなみは、首を横に振った。
「おにいちゃんは、エロだけど。でも、エロになる前からずっーと、あたしの『おにいちゃん』なんだよね」
 まなみが生まれた瞬間から、航は兄となった。そしてまなみは、生まれてからいままでずっと、航の妹で。
 はるか昔、エロの具体的な意味を知らなかったころ。そういう時代から、ずっと前から、ふたりは兄妹だったのだ。
 航はエロだ。まなみから見ればヘンタイだ。妹のパンツをたたむなんて、ちょっとどうかと思う。
 しかし、エロだけが航のすべてではないのだ。そのもっと以前から、航はまなみの兄なのだ。
 だから、そこだけ見れば例え謝るべきエロであっても。それは所詮一側面だから、航は自覚できないし。まなみももっと、航の全体を見て考えればいいのだ。
「変なこと言うなよ。そんなの、当たり前じゃねえか」
 航は笑って、まともに取り上げなかった。足元に転がっている箱を拾って、積み上げていく。
 まなみもまた、浮き輪を置いて、それを手伝う。ホコリでザラザラした箱をふたつ重ねて、そのまま素手で持ち上げる。結構重たい。航は軽々やっていたのに。
「お前がいま持ってたの……よく見たらそれ、昔の浮き輪か。なつかしいな。ボロすぎてぜんぜんわからなかった」
 そこで航が、浮き輪に気づいた。
「そう言えばさっき、どこかで水着を見かけたような……お、あったあった」
 積まれた箱のなかから、航は紺色の布切れを引っぱり出してきた。それを体の前で広げる。
 どこからどう見ても完璧な、まなみのスクール水着だった。胸に書かれた『1‐2 しらさき』という文字はすっかりかすれてしまっている。
「昔はこんなに小さかったんだよなぁ。それがいまじゃ背も口もでかくなりやがって……そうだまなみ、お前知ってるか? 昔のスクール水着って、ここから手を入れられたんだけど。なんでか知ってるか?」
 水着の股間に手を当てて。航は嬉しそうな顔で、まなみに話しかけてきた。
 指をくねくねこきこきと、股間のあたりで奇妙に動かしている。
 ああ。ああ。ああ。ああ――白崎航、あなたという人は。パンツの件といい、どうして妹の気持ちを察する想像力があと一歩足りないのか。
「おにいちゃんの、バカーーーーーーーーッ!!!」
 まなみは持っていた箱を、航の顔目がけてぶん投げた。勢いで航は倒され、その後3分間にわたって悶絶した。
(おしまい)