兄妹日和 その3

「で、結局どういうことなのかな。まなみサン」
 ダンボールを押入に戻しながら、航はいつになく優しい口調で問いかけてきた。
 これで警戒を解いてはいけない。相手はまなみより5年も人生というキャリアを積んでいる。押すも引くも、手馴れたものだろう。
「エロエロな人には言うつもりありませーん。べ−だ」
 舌をあかんべーと突き出して、まなみは抵抗を示した。
「……」
 航は片手で、顔を覆った。呆れているらしい。
「まあ一万歩譲って、俺が仮にヘンタイだったとしても、だ。部屋に無断で入って漁られたことも、それと同じくらいヒドいことだと思うんだけど。どうよ?」
「おにいちゃんにとっては、そうかもしれないけど。あたしにとっては、おにいちゃんがエロかどうかは、生きるか死ぬかってことなんだよ!?」
「恥ずかしさで人が死ねるかよ」
 ああ。航はかわしきる姿勢だ。まなみは相手にされちゃいない。
 そう簡単に逃げられてはたまらない。小6女子の意地にかけて、ここはカミツキガメのごとく、くらいつかねばならない。
「恥ずかしさじゃないよ。同じ屋根の下にヘンタイがいたら、安心して生きてかれないじゃない」
 まなみは航の顔を見上げる。凝視する。口もとを引き結んで、目を合わせる。
 当然、航はすぐ、目を逸らした。大きく、息を吐いている。
「とりあえず、一回ガチで話そうか」
 畳の上に、腰を下ろして。そして、まなみにも座るよう目線を送る。
 まなみはそれに従った。航に合わせて、おずおずと正座する。
「どうすれば、お前は俺がエロじゃないって、わかってくれるんだ?」
「おにいちゃんはエロだよ」
「いやだからその前提からだな」
「いくら言われたって、信じらんないもん」
 まなみのなかにある事実は、航がまなみのいない間にパンツをたたんだということだけだ。そして、言葉はいくつ重なっても、事実を凌駕することはない。エロは誤解である、という航の主張は、絶対勝てないのだ。
「あの、な。俺はいま、怒ってんだよ。それもものすごく。ものすごく怒ってるけど、お前のために抑えてあげてるの。そのへん、わかってんのか?」
「あたしだって怒ってるもん! おにいちゃんの部屋で、こんなことしたくなかったよ。でも、あんなにはっきりとエロだって見せられたら、しょうがないじゃない!」
「エロエロエロエロって、お前いいかげんにしろよ。たかがパンツ一回たたんだだけで。お前のパンツなんかな、これまで何十万回って見てきてるんだよ。それどころか、中身だって11年前にとっくに見てんだよ!」
 ついに航が、声を荒げた。まなみは思わず足を崩して、後退する。
「ほら、もう言いわけできなくなったから、怒鳴りにきた」
 しかし、攻め手は緩めない。さらに続ける。
「おにいちゃんはエロなんだよ。隠しきれなくて、そうやって怒鳴るしかないくらい。これまでは、うまく隠してこれたのかもしれないけど。あたし、知らなかったもんね。エロのことも。おにいちゃんの頭に、『リィン』ってヒトが住んでることも」
 がばりと。航はまなみに、飛びかかってきた。あっさりとまなみは倒され、両肩を押さえつけられる。
「お前、な。そこまで勝手に見たのかよ」
「なによっ、ヘンタイ、バカっ、体は犯せても、心まではおにいちゃんの自由になんないんだかんね!」
 まなみは泣きそうだった。いよいよオオカミとなった航の牙が向かってくるのかと思うと、怖さで気が遠くなりそうだった。背骨から股間にかけてブルブルだった。力ではかなうべくもない相手、だからこそ、せめて気持ちだけは最後までしっかり持とうとした。
 しかし、航は、襲ってこなかった。殴りさえしなかった。
 ただ無表情で、まなみから下がって。腕を組んで、再び正座した。
「おにい、ちゃん……?」
「わかった。お前の病気が、ものすごーく根深いということはわかった。俺も兄貴だ。妹の治療にはつきあわなきゃいけない」
 航はなにを言っているのだろう。病気? むしろ異性の別人格が脳に住んでるとかいう航のほうがよっぽど病気なんじゃなかろうか。心の。
「いまから好きなだけ、気の済むまで。部屋のなか、探していいよ。まあ、一応俺も立ち会わせてもらうけど」
 そして航は、そんな提案をしてきた。
 乱れた髪を手で直しながら、まなみはぐるりと、部屋を見回す。押入、パソコンラック、本棚……5畳の部屋は狭いようでいて、かなりの死角とスペースがある。
 それらをすべて開放すると、航は言ったのだ。
 まなみは航を見すえる。じぃっと見る。
 ――なにか、おかしい。変だ。
 確かに申し出自体はすごく魅力的に映る。疑いを晴らしたいのだという意図もわかるし、実際これでなにも出てこなかったら、航はエロでないという結論に一気に進むことも、まなみには理解できる。
 しかし、しかしだ。
 それゆえに、なにかにおうのだ。1キロも離れた公衆トイレからにおってくるにおいなみに薄いが、確かに、確実に、クサい。
「いい、の? 部屋、見せて。怒ってたのに」
「そうしなきゃ、お前、納得しねえんだろ。だったら勝手にやればいいじゃねえか」
 投げやりなのか、捜索しやすいようにという思いやりなのか。航はまなみを突き放す。
 その、良すぎるほどの思いきりに――まなみは、決断した。
 立ち上がって、窓に歩み寄る。それから、窓を開ける。
「まなみ?」
「こう見えてもあたしね、おにいちゃんと11年、一緒に暮らしてるんだ。だから、なんとなくわかる。おにいちゃんは、自分の陣地では、あんまりヘマをしない」
 サンダルを履いて、窓から外に出る。
「部屋を全部見せるって言ったってことは、部屋には証拠がないっていうことを100パーセント、わかってるから。自信があるから。だから、探すだけムダ。むしろ、こっちのほうがまだ可能性がある」
 そしてまなみは、物置を、指差した。
 航の部屋から、2メートルも離れていない。なにかを隠しておくには、もってこいではないだろうか。
「ここ探して、いいよね?」
 振り返って、まなみは訊ねた。
 航は複雑な顔で、好きにしろ、と言うだけだった。
 その様子に、まなみは小さく、右手でガッツポーズをした。