「バッテリー」6巻(あさのあつこ/教育画劇)
完結編。
この話の論評めいたものを何度か書き直してみたものの、結局うまく言葉にすることはできませんでした。理由はいくつかあるけどその最たるものは、作品の中身自体がストーリーの焦点を絞ってないから。特に4巻以降。
いや、一応大きく考えればひとつに絞れるんですよ。「思春期の少年の成長」っていう。だけどそれじゃ漠然としすぎでしょ。いろんなタイプの成長があるわけで。ピュアッ子が疑いを知ったり。へそ曲がりが純粋さを思い出したり。甘えんぼが自立したり。一匹狼が心を知ったり。それらすべてを同じものとして括ってしまうことは、オイラにはできかねます。
実は、3巻までは巧ひとりを軸としたまっすぐ一本な青春ストーリーとして仕上がっていたので、それならかなり書けたんですが……。群像劇化して、焦点があちこちに移りまくったことは率直にもったいないなとも思う。それは完成度的な面でのことでもあるし、原田巧という孤高の天才の格闘劇をもっと見たかったという一読者の願望から感じることでもあります。
いや、ね。描かれた個々の人物の内面はどのキャラもすごくいいんですよ。瑞垣も海音寺も、監督だってオイラは楽しめた。それでも、この話はやはり原田巧のものだと思うので。
自分が仲間のなかでどうあれるのか、他人はどんなことを考えているのか――そうした、人の輪のなかで人知れず格闘するすべての人たちにぜひ、この本を読んでほしい。
前進する力の助けに、きっとなると思う。