「さよならピアノソナタ」1巻(杉井光/メディアワークス)
杉井さんがここに至るまでプロとして書いてきた話――デビューの火目は原作があって、ある程度その枠が世界と発想を支配していた。で、次がニート(定職を持っていない若者)。
そしてこの3発目が、音楽(バンド)と。
羅列して、なにが言いたいのかといいますと。
この3発を見比べて、いままでで一番アドヴァンテージがあるんですよ。今回の話は。
杉井さんの非定職歴は高校卒業からのスタートですけど、音楽は高校在学中にはとっくに足を踏み入れていた世界なのです。つまりそれだけ、蓄積してきたものがある。
だいたい、最初に杉井さんが書き上げた長編小説(ラストハロウィン)はバンド小説だったんですから。人生のなかでまず小説を書こうとしたときに手が伸びたのが音楽ネタだったということ、このことは、今作に対する評価の前提においてとても意味を持ちます。
杉井光は、より自分の芯に近い部分を、剥き出しにしてきている――と。
- ナオ、真冬(天才少女ピアニスト)と出会う。千晶から民音(バンド部)に誘われるもやる気なし。
- 真冬が転校してくる。真冬のギター演奏のせいで、校内での潜伏場所を占領されてしまう。
- はずみで、自分もギターができると言ってしまう。民音部長の神楽坂と遭遇、煽られる。
- 真冬をぶっとばす手段としてギターを真剣に考える。だが神楽坂の策謀で、ベースを買わされてしまう。
- ともかく、ギターの真冬に対しベースで勝負を挑むことに。練習の過程で、バンドの面白さを感じる。
- 綿密な作戦もあって真冬相手に互角の勝負を繰り広げる、が、真冬が倒れてしまう。
- 真冬の右手の指が動かないこと、だからピアノを弾かずギターばかり弾いていたのだと知る。そういう事情も知らず無邪気だった自分を恥じて、ナオはベースを廃品回収に出す。
- 家出してきた真冬が家に来る。そのまま連れだって外へ。真冬をバンドに誘う。
- 捨てたベースを瓦礫の山から見つける。自分の指のことから逃げていた真冬は、アメリカで治療を受ける決意をする。
なにもやる気がなかった音楽マニア少年が、自発的な意志を持って、バンドというかたちを借りてまわりを巻きこんで音楽をやり始めるまでの話、かなぁ。
ただ本来、解決すべき大きな問題を抱えているのは真冬のほうなんですけどね。解決に必要な自発行動・積極行動などの側面から考えると、真冬が主人公であるとは正面きって主張しにくい。
オイラはまあ、ふたりで主人公コンビである、と捉えるのが美しいと思うのですけどね。
ふたりで線路を歩いて家出するとか、ベタですけど好きです。子どものころ、無人駅から線路に飛び降りて歩くの、やっぱり楽しかったし。真っ昼間だったのでJRの職員さんにきつく怒られましたが(苦笑)
あれをスタンド・バイ・ミーごっこと呼んでたか、裸の大将(山下清)ごっこと呼んでたかで、育ちがわかるような気がしないでもない。
しかし、ツンデレもいいんですが、とにかく中盤までの真冬がキツかったです。読んでて。ツンというか、拒絶ですからね。理由も言わないで排除されると、イライラしてしまってしょうがないというか、コミュニケーションが成立してないというか。
謎を引っ張ったところで、必ずしも読み手が興味を関心を持ってついてきてくれるかどうかという難しさですよね、このあたりは。
- 真冬:傷病系&才能突出によるコミュ経験不足、ツンデレ転校生
- 千晶:武闘系&元ボーイッシュ幼なじみ
- 神楽坂:電波系&破壊突進強引型先輩
キャラクタ。たぶん多くの人にすでに指摘されてると思うのですが、極めて設定・配置がエロゲ的です。
神メモよりもカリカチュア化が進んだとも言えますが。
でもそうしたからこそ、80ページ過ぎまで視点者に自発的な行動をさせないという構成を取れたわけで。かけあいで間を持たせるというか。向こう(ヒロインたち)がこっちに関心を持ってて、こっちへのはたらきかけがあると、それで結構枚数進んでしまいますし。
あー、あと個人的にエビチリの対応にに拍子抜けしてしまいました。はい。普通のお父さんだったので。
なんだろ、「悪人」が欲しかったのかな。結局オイラは。
それか、「普通でない親」のほうが読みたかったか。
音楽を強要されて抑圧されてきた子どもが、親から自立する過程で、自立手段としてやっぱり音楽しかなかったという皮肉な展開を期待してたのかも。
でも、エビチリを単純な悪存在にしちゃうと、真冬の手の件で、「わかりやすい原因」ができちゃうからな。杉井さんはそういう、親と縁切れたから回復しました! みたいな展開は書かないと思うし。
ところで、タイトルはこれ、ダブルミーニングなんでしょうか。
終盤読むまで、「このタイトルは真冬が独奏(ソナタ)からバンドメンバーになる、そういう意味での『さよならピアノソナタ』」だと思っていたのですよ。
でもそしたら、ベートーヴェンのピアノソナタ「告別」をひっくり返して意味を開いたという解説が出てきて。
んー、ダブルミーニングというのとは違うな。発想の大元と、そこから到達した意味なんだから。
でも途中まで、「こういう意味を持つ言葉(タイトル)を杉井さんはゼロからこしらえたのだ」と思っていたので……