きみは「痛み」のある青春の夢を見るか

 触発されたわけじゃないけど、少し自分の意識を整理しておく意味もあって書いておきます。


 いわゆる「鬱アニメ」、というカテゴリがある(らしい)。まぶしいばかりの青春をすごす主人公たちの姿を見て、「ああ、俺たちにはなんでこういう青春がなかったんだろう」と落ちこみ、鬱になるからだそうで。
 その代表例として、「耳をすませば(以下耳すま)」とか「時をかける少女(以下時かけ)」の名がよく挙がっています。
 

 なんだってこのふたつをわざわざ作品名として出してきたのかといいますと……世間的には同カテゴリに入れられてるこのふたつ、どうも俺には「違うものなんじゃないの? まとめてくくるのはさ」という気がしてならないんですね。
 もっと具体的に言ってしまうと、耳すまが鬱だというのはまあわかるんだけど、時かけで鬱というのがよくわからなかったんですよ。
 その違和感の正体を時かけ見終わってからずっと探っていたのですが。


 あくまで自己整理なので考察プロセスだだ漏れのまま書き散らかしますが。
 耳すまって、ファンタジーだと思うんですよ。確かに軸は恋愛、青春の在り方なんだけど、総体として見ると超現実的なところがあって。だってラストが「結婚しよう」ですよ。いかに中学生といえども、キスもセックスもしてないふたりが結婚を意識するというのは、いまどきの中学生から見ても超現実的に見えると思います。
 べつにファンタジーだから悪いとかそうじゃないとかの話ではないんですよ。ただ、作り手側の意図としてそういう傾向があったとは思う。
 雫と聖司は、若くて世間知らずなわけです。恋愛がダイレクトに結婚に結びついてしまうほど。それは同時に怖いもの知らずということでもあり、俺たちがとうの昔に失ってしまった勇気、行動力、完璧主義(妥協しないこと)ともつながっていくとも思うんですけど。


 時かけはそれと比べると、かなりのリアル路線だと言えます。
 特にリアル路線の象徴だったのが、いじめを受けていた高瀬に対する視線・評価ですよね。どう考えても彼は悪くないのに、ぶちキレて消火器ぶん投げるくだりまでいくと、明らかに集団(ギャラリー・オーディエンス・野次馬)の目つきが険しくなっている。「お前がそんな性格だからいじめられたんだろ」とでも言いたげに。
 この構図は、現実のいじめの構図に近いです。クラスのなかでいじめられているのがひとり、加害者が数人、残りは見ているだけという構図は全国どこにでもある構図だと思いますが、見ているだけの連中というのはなにもとばっちりが怖いだけでスルーしているわけではないのです。それよりはむしろ、いじめられている子のなかに「原因」を見つけだそうとして、ムリヤリにでもいじめの正当化を図ろうとする。そうすることで、見ているだけの自分自身も正当化しているんですよ。
 高瀬においては実際に消火器が女生徒に当たって危害が発生するんですが、そうなると俄然高瀬は責められるわけで。「高瀬自身にいじめられる原因が内包されている」と受け止められるような書かれかたを、このシーンではされていると言えます。


 なにより時かけは、「真琴の挫折」をストーリーの中心にしているんですよ。挫折というか、まあ通過儀礼ですよね。成長するために必要な痛み。功介が電車に撥ねられて死んじゃうとか。千昭と永い別れをすることになるとか。季節が夏なだけになおさらあの別れに通過儀礼的な意味合いがすごく見えてきてアレだったんですが。
 こういう解釈はきっと少数派なんだろうけど。千昭と別れたのは俺挫折だと思うんですよ。せっかく恋まで昇華させたのにそれが叶わないという点で。時間というどうしようもない要素が絡んでるんだからしょうがないだろ、という意見もあるでしょうけど、そのしょうがなさ、しょうがないとしか言えない角度から襲ってくることが挫折の本質だと思っているので……
 とにかく痛いんですよね。見てて。誰でも陥りうる可能性のある挫折だからこそ、いっそう。親友を死なせ、恋に別れ。


 耳すまにも痛さはありますよ。お父さんの鋭いひとこと「人と違う生きかたは、それなりにしんどいぞ」(だったかな。まあ意訳あるかも)とか、このセリフはワナビになってから聞いたとき泣きそうになったんですが。中学生の雫にはおそらく実感としてまだわかるべくもないので、このセリフはそこまで痛くなかったと思う。
 むしろ雫の胸を締めつけたのは、夢を叶えていく聖司に対する焦燥、ですかね。自分をもっと高めなければぜんぜんダメだ、という気高さ・克己心――オッサンの自分にも昔はあったかもしれないと思わせるまぶしい概念です。自分がなくしてしまった気高さを見せつけられると、やはり心に響きます。
 でもそれって、挫折とは違うんですよね。挫折を、外的な要因によって、本人の意図とは関係なく望みが潰えることと定義するならば。雫はまだ決定的な壁には当たっていない。自分が(小説書きとして)力不足だと思うのも、彼女が自分で判断してのことだし。
 聖司は留学しますが、地球上で同じ時間に生きてるので、恋に別れたとは言いきれませんし。かなりの遠距離恋愛ではありますけど。時間の壁に比べればなんというものではない。


 俺は、軟弱なことを言うようですが、現実でいやほど痛めつけられ苦しんでいるのに、いまさら他人の挫折など見たくない……と思っているのかもしれません。「イリヤ」みたいに、わがままを通したあげく挫折するとかならまだ、自分の若い行動のせいだしなと納得できる部分があるんですが。真琴はそれほどの決定的なわがままを通したようには思えません。告白をなかったことにしようとか、自分の望まない未来を潰すためには使いましたけど。あれはあれ、真琴でなかったとしても、つまりたいした意志力がなかったとしても、誰でも似たようなことはすると思うし。
 だからこそ、リアリティのある挫折に映るんですが……


 どうしようもないところから降りかかってくる挫折なんて、ほんとにどうしようもない。
 だからこそ「青春」なんだけど。
 そんな青春なら欲しくないし、焦がれもしない。
 結局、見て鬱になるとかいうのは「欲しいから」なんですよ。それが。
 己を高めさえすればすべての物事は上手くいくって、どうしようもない挫折なんか自分が高められてさえいれば超えられるって――ほんとうにあのころ信じていた、その憧れがそのまままだ奥底に残っているような、気がします。