「火目の巫女」2巻(杉井光/メディアワークス)

火目の巫女〈巻ノ2〉 (電撃文庫)

 どう続刊を繋いでいくのだろうか? ということが最大の興味だったわけですが……結局、火目システムの謎に突っこんでいくという王道形を取るみたいですね。歴代火目の墓を出すことで最初の火目の話題に持っていき、そのネタが出たところで以下次巻というかたちでした。まあ、あそこまで露骨に「続く」という感じで終わるのは、個人的に「どうなんだろう?」と思うところがないわけではないですが。ここらへんは、投稿作ではできないことというか、同じに考えてはいけないところか。

  • 時子の暴走→取り逃がす。
    • 佳乃やさぐれている。双葉や伊月のことを拒絶している。
  • 故郷の村で、匿われているところを発見→また逃げられる。
  • (火護衆、村の危機を村人と協力して乗り切り、村人と和解する)
    • 双葉の身を挺した行動により、佳乃のやさぐれがなくなる。
  • 火護衆によって、自分が何者なのかを気づかされる→チームの一員なんだから、ひとりでなくチームで戦え?
  • 鳴箭の道を見つけ、射る→成功。倒す。

 テーマというか、物語の区分的には「暴走した時子を止める話」ということになるんでしょうけど。正直それも、火目システムの歴史に話を繋げるための助走というか、前フリみたいな感じだなぁ。
 ただ、「暴走を止める」ことに対する盛り上げかたというか、枠組みというか、それはやはりうまかったです。具体的には、伊月に課題を与えてることですが。時子をやっつけるためにはAができなきゃいけない、むしろAができないから取り逃した――という感じで前半振って、後半は見事Aを成させることで、時子を倒すという物語の目的を達成させる。
 いやまあ本来、一度仕損じてるってことはなんらかそこに課題があるのは当たり前なんですけど。例えば弱点を見つけられてなくて、攻撃の効かないとこばかり攻めてたとか。こちら側が全体的にヘボかったとか(この場合、スーパー超人化して倒しちゃうことも少なくない)
 あと、今回は佳乃の筋もあったわけなんですが……これ、積極的なベクトルはないんですよね。佳乃自身のなかに。二本目の筋となるとそのへん、受身主体でもいいんでしょうか。ふむ。


 今回の疑問は「チームワーク」についてですね。目的を達成させる論理として持ち出されてきたわけですが。一般的に言って、確かにチームワーク・団結ってすごくうまくいったとき感動するし、それはそれ、まったく悪いものではないんですけど。
 ただ、ラノベは集団団結力を書くことよりも、個人能力の活躍を書くことを求められているような気がしてならないんですよね。いや、求められてるというのは語弊があるか。そっちのほうが適している、と言うほうが近い。
 文字メディアでは、漫画と違って、印象に残せるキャラクターの総数が限られてくると思うんですよ。印象に残せるというのはようするに、キャラ立ちしている、って状態のことですけど。で、チーム戦を「面白く」書こうとすると、チームを構成する各メンバーそれぞれすべてが立ってる状態でないと「面白く」ならないと思うんですよ。そういう観点からいくと、今回のチーム戦の主体は新キャラのおっさん矢加部ですからね。あとは隊員1号2号だし。これはかなりつらかったんじゃないでしょうか。
 あと、136ページから209ページにかけて伊月が出てこなくなることがありましたが。これも正直、俺はうーんと思いました。読み手の興味がどこにあるかということを考えると、べつに火護衆と村人が和解しなくたってどうでもいいんですよね。あのシーンには、チームワークの大切さを教える意味があったことは確かですけど。キャラクター主義的には、伊月を追っかけてもらったほうが読みやすい。


 それはそうと、171ページのイラストがおっさんの笑顔アップなんですが……これは杉井さんが選んだんですかね? オイラはかつて某プロから、ラノベのどのシーンをイラスト化するかは作者が指定できるものなのだということを教えてもらったのですが。
 杉井さんがアレを自分で選んだのだとすると……まあ、ちょっと昼休み校舎裏に来(以下略)