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で、創作論の話。
相手方の許可を取っていないので引用はできませんが……まあどういうことなのかというと。
ようするに、テーマとキャラクタの関係性についての話でして。
オイラは基本的に、まずテーマから固めないと話をうまく割り振れない人なんですよね。これはまあなんというか、ルーティンワーク的に小説書こうとすることの弊害なのだと思うんですけど。
で、そういうやりかたをとると、キャラクタというのは役割配分をされるだけのものになってしまうんですね。それは単純に主人公の味方/敵というものでもあり。主人公と対概念を持つ者/同概念を持つ者、というものでもあり。ひとつのテーマへと収束していくように、なかば機械的に配分されていく。
ところがどっこい、こういうありかたは「キャラクター小説」ともときに言われる(大塚さん以外に言ってる人はあまり見かけないけど(苦笑))ライトノベルにおいては、邪道というか、失敗パターンなのではないかと――その意見を見て、思ったのですね。
つまりですね、逆なんです。形成パターンとしては。
キャラクタのなかに内在する問題、あるいは性質、そこをどうするかからスタートしないといけないんですね。
そのキャラ(仮にAとします)がAであるために問題Bがあり、問題BがあるがためにそいつはAである……という、上からの当てはめではなく、強固な連結さをもってテーマとしなくてはならないのですよ。
そして問題Bというのは、Aの物語時点まででの生き様であるとか、トラウマ、過去などにしっかりと基づいたものでなくてはならない。
うーん。ややこしく書きすぎかなぁ。ともかく要点としては、「こんな性格・特質・属性のキャラクタを活躍させたい」的な動機から書いてみることも必要では? という話でした。
ま、実は何回やったことあるんだけどね。キャラから話作るの。ただそれでも結局、キャラクタをいかに活かすかではなく、いかにキャラクタ発の「テーマ」のほうをうまく書くかに主眼が行ってしまって、失敗してしまったんだけど。以前連載した兄妹日和とかなんてモロにそのパターン。キャラクタそれ自体を書かなきゃいけないのに、兄妹融和的なテーマのほうに足が向いちゃってる。