昨日のnishizuruさんにレス。

>残念だったのは、船がもろに描かれてしまった部分でした。赤マントの作品のときもそうだったのですが、主人公(たち)が非現実を追い求めていった結果、本当に非現実に遭遇するわけですけど、そのときの非現実の書き方がなぜかダサい。

 ははぁ。このあたりは、巻島がラノベを書かんとするとき「ラノベに必要な派手さがない」と言われがちなことと同根の問題であるような気がします。
 もちろんあのシーンで「ラノベ的な派手さ」がそのまま必要だったわけではないですけど。あのシーンではなんらか、非現実の象徴とキャラクタたちを遭遇させなければならなかったわけで。そういうなかで、求めうるレベルに「非現実の描かれかた」が届いていないという。
 ラノベにおける派手さっていうのも、結局多くは「いかにして非現実を描くか」ってことですからね。だから同根だと思います。
 もしかしたら、非現実に対した瞬間のキャラクタたちよりも、非現実に出会って、その感動を現実世界に持ち帰ったときのキャラクタたちのほうに、オイラ、興味があるのかもしれません。このあたり、ラノベ書きになろうとするならば、重大な欠点になっていくのは間違いないので……やはり、人に見せたり相談しながら、ダサくない方向性をその都度探していくしかないかなぁ。

>そういうことを考えたときに、この文体とこのテーマしか書けないのかどうか、ということを見極める必要があります。

 文体とテーマ……そうですね。現状、とっても書ける(書いてる)枠が狭いということは理解しています。特にテーマかなぁ。
 かつて2号さんに『閉じていた主人公の世界が、外からの刺激で開いてゆく……というのが巻島さん作品に共通のフォーマットなのでしょうか』と言われたことがあるんですけど……。俺は、誰か一人の思ってたことが、他者からの影響を受けて変容するのが好きなんです。その形式を突き詰めていくと、どうしても変容の前段階として、閉じている状態を書いてしまう。閉→開という表現が一番、変容それ自体を表しやすいから。
 このへんは、変容の表現方法から、もっといろいろ考えないといけないんでしょうね。はぁ。