黄金期に想いを馳せて

 1992年。俺は初めて、スポーツ中継を見て泣いた。
 シーズン終盤の大失速によって優勝を逃し、その上、甲子園で、敵チームの胴上げを見させられたからだ。いまもってファンの悪名を高くするとき必ず例に出される、あの「帰れコール」が起きた試合である。
 俺はファン的心情を思うと、とてもとてもあの行動を理解できてしまうので、マナーやモラルという概念は一方で認めながらも、あの日の騒乱を否定することができない。やはり、ときとして感情というものは理性では抑えられないものなのではないかと思う。
 あの年、千載一遇のチャンスシーズンを逃したことで、俺は、このチームはもう一生、優勝することはできないのだろうと思った。本当はそのたった7年前に優勝していたのだが、当時小学生だった俺には7年前の記憶などあるはずもなく。だから俺はただ、このチームはクソ弱いチームなのだという認識しか持ち合わせていなかった。ゆえに92年の躍進は奇跡の物語のように見え、だからこそその奇跡の叶わなかったとき、このチームに奇跡は二度と起こらないのだろうと思った。
 もっとも、今年は惜しかったんだから、来年こそは――ということを思わなかったわけではない。むしろ野球を見始めて年の浅い子どものこと、安直な期待を抱くのは必然だった。
 だがチームは俺の悪い予感をそのままなぞるように、弱小街道を驀進していった。
 ガラガラの甲子園、単調なメガホンのリズムのなか、ピッチャーは打たれ、野手はエラーをし、バッターは凡退しまくった。6月には外人が帰国し、9月には人事の話ばかりが紙面を賑わせた。
 18年という長い月日の間、同じことをチームは繰り返した。


 スポーツ新聞のリーグ順位表、その一番上にその名が在るということを、かつてどれだけ夢想しただろう。かつてそれは、春先に運良く達成するだけのものでしかなかった。
 しかしいまや、それは夢でも幻想でもない。2年前の秋に目にした掲載位置を、俺たちはいま再び、この秋、目に収めている。
 毎年優勝争いできたらどれだけ楽しいんだろうと、かつてどれだけ夢想しただろう。
 それもまた、もはや夢でも幻想でもない。18年という長い冬を耐えた先に、もう冬は待っていなかった。俺たちがこれから享受していくのは、黄金期という盛夏なのだ。


 幾多の低迷を克服して、いまや新たな球界の盟主となったチームと選手、関係者各位に敬意を表したい。
 リーグ優勝、おめでとうございます。


 ――悪文失礼。



 ……それにしても井川はどうしたんですかね。胴上げにも祝勝会にも不参加。まさか中二病か? みんなが盛り上がってるの見ると隔絶感を覚えて、そこに混じれなくなる病気。


 ↑の追記。こういうことだったらしい。

◆あれれ…井川は胴上げに遅刻…
 こんな最高の夜に、信じられない大失態だ。胴上げの輪にも、セレモニーにも井川の姿はない。まさかの遅刻だった。
 練習後、球場近くの施設でクールダウン。試合の様子を見て駆けつけようとしたが、タクシーが全くつかまらず、あきらめてスーツ姿で猛ダッシュ。だが、到着した時には、岡田監督が宙を舞い終えていた…。

 アホすぎる(笑)
 祝勝会には参加していた模様。証拠写真も発見
 しかし、ま、そういうことだったので、祝勝会インタビューも拒否しまくってたんかな。だって恥ずかしいしな。