タイドライン・ブルー 第1話

 で、上であんなこと書いたばっかりなのに、いきなりアニメの感想とは(苦笑)
 いやまあ、理由はあるんです。理由は。簡素に書くだけなら、昨晩見たあとすぐアップできたんですよ。
 ちょっと「不良少年」について書こうと思って。


 まず冒頭、主人公が大人に殴りかかるシーンから始まるんですけど。その殴りかかる理由というのが、彼の親は為政者なので彼は恵まれている――と言われたことに対する反発。つまりこの出だしにすでに、「既存の社会に反発する主人公」というものが描かれているわけで。
 不良少年というのは、既存の社会に対するアンチテーゼとして極めてわかりやすい存在だと思う。社会に対して疑問を抱き、それでいてアクティヴで。自分の思うなりに動いてなんとかしてみようという、彼らなりの行動信念がある。
 このあたり、同じ社会不適応的存在として、「ひきこもり」とは対極の存在です。ひきこもりもまた既存の社会に対して不満があるんですけど、それを外向きに発散していくことはない。行動力もない。


 ここから先は単なる個人的な感覚なんですけど。
 ひきこもりが主人公の話だと、既存の社会に最終的に主人公が順応・回収されるという結末が多い気がしますが。不良少年だと、そのアクティヴさを生かして、世界それ自体を変革するということで結末を迎えることが多い気がする。
 あ、コナン(未来少年コナン)は不良少年じゃないけど、でも既存の社会(インダストリア)の外側(残され島)にいたという点において、やっぱり不良と同じ属性があるんじゃないでしょうか。


 このへんのことを考えていくと、オイラが、主人公たちが現実に回収されていく話を多く書いているということは、ひきこもり的な目線でしか物語をとらえられていないのではないかという結論に至るわけで。
 んー、世界を変えるのだというアクティヴさを持った不良少年かー。アクティヴな外れ者ってのは確かに書いたことないよなぁ。




 そうそう、このアニメ、ヒロインが16歳でシングルマザーというすさまじい設定なんですが。
 母親であるということは、逆に子どもに「所有」されているのではないかって思います。つまりフリーのように見えてフリーじゃないんですよね。しかも、子どもというのはかなりの強敵。この先主人公とくっつけるにしても、どうしていくんでしょうか。