代打の神様 八木裕引退
ロブロイの末の甘さに苦笑しながら昼間は過ごし、夜はプレーオフと甲子園を頻繁にチャンネル変えながら見ていました。大河新選組! は10時のBS版に予定を回して。お前はわたしより長生きするっつー沖田の藤堂に対する言葉は、なんというか、歴史を知っとるだけに……
でもサンテレビの甲子園戦、8時からの放映だったんだよなぁ。制作がABC(朝日放送)だったから、リレーナイターのつもりで枠を作ってたんだろうけど。結局関西圏でもプレーオフぶち抜きオンリー放映になってしまった。おかげで林威助のプロ初打席が見れなかった。
まあプレーオフはプレーオフで面白いからいいんだけど。三瀬のスライダーはすごすぎ。
で、甲子園。
カツノリこと野村克則の代打時におけるミョーな歓声には、なんだかこっちまで変な気分にさせられたものですが(愛されてるよなぁ。お立ち台で阪神園芸に感謝の礼を言った、おそらく唯一の男だけど)、8回裏にこの日の主役が登場するとそんな浮かれ気分は一気に吹き飛びました。
相手投手はルーキー南。緊張からかボール2として観衆と俺の失笑を買ったあと、3球目の外の球をライト前へ。礼節としてストレートしか投げない状況ではありますが、幾度となく見せてもらったタイムリーの光景と、弾道はだぶるものがありました。
日本はヤオヨロズの国と言いますが、野球界で神の称号をいただいた者はそう多くありません。古くは川上哲治、あるいは稲尾、バース……。「代打の神様」という称号は、けしてベンチウォーマーにただあてがわれた二つ名ではありません。誇りある称号です。
その称号が使われだしたのは、吉田政権下にあった97年からでした。若いころは何度も20HR以上を打ったことのある男の、30代前半で得た新しい仕事場。正直、代打に専念するにはまだちょっと早い歳です。本人も葛藤や戸惑いがあったかと思います。それでも、立派にチームから与えられた仕事を黙々とこなし続けてくださいました。
熱心に野球を見だしたのがそのころぐらいからの俺にとっては、幻のホームランよりも代打の切り札としての印象が強いです。ここで一打あれば逆転サヨナラという大豊の打席で起こった八木コール、忘れられません。
歴史を見ても、数年をまたいで代打の切り札としてあり続けることは非常に難しく、稀なことです。和田や真弓も引退間際に1年限定で勝負強いことはありましたが、7年間もその地位にあり続けたことはそれと比して充分立派です。俺は素直に敬意を表したいと思います。
あまりにもあまりにも弱かったチーム――負けすぎて応援ボイコットされるわ、監督をファンが新幹線で軟禁するわ、オールスター出場が毎年ひとりかふたりだわ、トリプルエラーで打者を返してしまうわ――そんなどうしようもなく弱かったチームをずっと支えてくれていたこと、もっと評価されてもいいと思います。タイガース暗黒の象徴と言われる選手は籔とか幾人かいますけれども、みんなもっと評価されるべき選手です。真に評価されるべきは、弱かったころに挫けずがんばっていた人たちではないでしょうか。
だらだらと書いてきましたが最後にひとこと。
18年間、どうもありがとうございました。