「ぼくの村の話」全7巻(尾瀬あきら/講談社)
実はずっと6巻だけ見つからなくて探していたんですが、やっと見つかったので一気に読破。
成田空港建設問題をモチーフにした、「地元農民vs政府・国」を描いていくストーリー、なんですが。
あんまり軽い気持ちで「農民かわいそう、自民党政府は糞」という感想は書けなかったりする。なぜなら、反対派農民の支援を行っていた(部分的には現在形なんですが)のが、中核派や第四インターなどのいわゆる過激な連中だったから、なんですが。
尾瀬さんは極めて農民より、農民視点で書いているので、援農に来るそういう(当時の)学生たちのことは深く書いてませんけれども、国が流血も省みずしゃにむに激しく空港建設を推し進めたのは、そういう過激な左翼連中に屈してはならないという気持ちがあったからではないかとも考えられます。
でも、当時の農民が頼れる組織というのが、結局彼らしかなかったのも事実で。当時の並み居る野党は早くに手を引き、政治の場での、話し合いでの解決が望めない状況に陥ってしまったのですから。
で、この闘争がどういう顛末かを未来に生まれたオイラは知っているんで、はっきり言って読んでてつらいんですよ。
結末がどうなるかわかってなかったら、農民たちが不当逮捕されたり機動隊に殴られたりするような悲惨な場面でも「ああ、カタルシスのための前フリだよな」で納得して読み進められるんですが。
この漫画は、そういう意味でのカタルシスはないです。砦も地下壕もばあさんの民家もみな、代執行という名の暴力のもとに破壊、蹂躙、駆逐、舗装されてしまう。
村のなかも、反対派と条件派(国の言う補償金や代替地などの条件で折り合って、土地を売った人)とで分断され、かつて互いに信頼しあっていたコミュニティは影もかたちもなくなってしまう。
つらいからこそ、目をそむけてはいけないことなんでしょうけれど。
この国のお上体質というか、上が決めたことは国民がいかに理不尽でいかにムダだらけだと思っても、ある種のあきらめ・無気力的な対応でもって結局流されてそのまま押し通されてしまうところを、まざまざと意識せざるをえません。……つかいまだにその構図は変わってないしな。
ただまあ、成田空港問題が過激派がらみの文脈で語られることが多いなか、徹底して農民視点で、それこそ減反などの農業政策にまで触れながら書いた部分は、もっと評価されていいと思います。
……これが文庫落ちしてないのはもったいないよなぁ。
「さよならピアノソナタ」2巻(杉井光/メディアワークス)
出来のいいバンド小説読んでると、だんだん歌いたくなってくるのがクセモノですね。
駅のコンコースで手すりに腰かけながら読んでたんですが、ひとりごとのつもりで歌ってた即興自作鼻歌が以外に大きな声だったみたいで、人目を集めてしまったりして。ああ、ああ。
- 真冬は帰国済みで民音に入部済み。先輩からデビューライヴの日程とそれに向けた合宿計画が発表される。
- 真冬は、直巳にくっついて民音にいるだけの自分なんかが……と惑って、合宿には行けないと。直巳は、合宿にくれば民音にいる理由が見えてくるかも、という言葉で釣って、真冬を合宿に誘い出すことに成功。
- 真冬の逆襲。直巳こそなんで民音に入ったのか? いるのか?
- 先輩のターン。弱い部分、本音の部分を直巳にさらしたのだが、そこを真冬に見られてしまう。真冬は先輩のモーションを真に受け、自分は直巳を民音に入れるための口実だったと思い込む。
- 直巳を先輩に取られたら、やっぱりバンドにいる意味がないと気づく。(加入意味思考の原点回帰)
- 真冬、ライヴリハーサルをすっぽかす。本番当日もギターを持ったまま家出。
- 直巳は真冬を捜し出し、自分だって真冬を引き止めるためにベースを練習したしバンドに加入したんだ、と告白する。真冬は直巳の動機、そして自分自身の動機も受け入れ、ライヴに、バンドに参加する。
バンドに参加してる動機が、キレイゴトなんかじゃない、恋愛がきっかけなんだと相互に自認しあう話、なんかな。
まあべつにオイラはバンドやりだした動機が「モテたい」だったとしても気にはしませんがね。だいたい昔、バンドブームというのがあって、あれはなんでブームになったかといえば、それがカッコいい、モテる、という価値観が日本中にあふれたからなんですが。
清廉潔白な動機で組まれたバンドのほうが名曲出すかって言われたらそんなことはないしね。
でもこの年頃の子はまだ抵抗あるのかもな、恋愛動機でバンドやりだしたってこと。だからこの話は成立しうるのだし、真冬の(行動はともかく)心理には納得できるのだし。
でも千晶だけは、バンドの結束>恋愛だろ、という正統派の主張・説得をしているんだよな。個別の感情は置いといて集団の規範下に入れよ、という。このへんは彼女が体育会系であることと不可分ではないんだろうけれど。でもだいたい、バンド内の恋愛で揉めたらそのバンドは解散するような。
真冬の葛藤に対する同意ができたからこそ、読んでてずっとイライラしっぱなしでしたね(笑) いやあ、鈍感は罪ですね。女の敵で、非モテの敵だ。
この恋愛至上主義がまかり通っている現代日本で、ティーンエイジャーの恋愛の機微を描いたフィクションだって石ころのごとくあふれかえっているなかで、あれだけ鈍感というのは奇跡に近い。そういうフィクションに触れてこなかったってことだからね。うん。
先輩のターンはそのうちやってくるだろうな、と思ってました。でも、確かにああいうギャップ萌えというか、意外な人がしおらしさを見せてうんぬんというのはベタベタなんですけど……なんだろ、あくまで個人的なんですが、そういうウェットな感じにはしてほしくなかったかもしれない。あっけらかんとしたまま、素直クールキャラのようにからっと愛を語るみたいな。
でもまあそれだと100%変人になるからなぁ。そして変人とは恋愛できない。オイラだと4角は実力的に無理なんで、ひとりは変人にしてしまうんでしょうけれど。
「さよならピアノソナタ」1巻(杉井光/メディアワークス)
杉井さんがここに至るまでプロとして書いてきた話――デビューの火目は原作があって、ある程度その枠が世界と発想を支配していた。で、次がニート(定職を持っていない若者)。
そしてこの3発目が、音楽(バンド)と。
羅列して、なにが言いたいのかといいますと。
この3発を見比べて、いままでで一番アドヴァンテージがあるんですよ。今回の話は。
杉井さんの非定職歴は高校卒業からのスタートですけど、音楽は高校在学中にはとっくに足を踏み入れていた世界なのです。つまりそれだけ、蓄積してきたものがある。
だいたい、最初に杉井さんが書き上げた長編小説(ラストハロウィン)はバンド小説だったんですから。人生のなかでまず小説を書こうとしたときに手が伸びたのが音楽ネタだったということ、このことは、今作に対する評価の前提においてとても意味を持ちます。
杉井光は、より自分の芯に近い部分を、剥き出しにしてきている――と。
- ナオ、真冬(天才少女ピアニスト)と出会う。千晶から民音(バンド部)に誘われるもやる気なし。
- 真冬が転校してくる。真冬のギター演奏のせいで、校内での潜伏場所を占領されてしまう。
- はずみで、自分もギターができると言ってしまう。民音部長の神楽坂と遭遇、煽られる。
- 真冬をぶっとばす手段としてギターを真剣に考える。だが神楽坂の策謀で、ベースを買わされてしまう。
- ともかく、ギターの真冬に対しベースで勝負を挑むことに。練習の過程で、バンドの面白さを感じる。
- 綿密な作戦もあって真冬相手に互角の勝負を繰り広げる、が、真冬が倒れてしまう。
- 真冬の右手の指が動かないこと、だからピアノを弾かずギターばかり弾いていたのだと知る。そういう事情も知らず無邪気だった自分を恥じて、ナオはベースを廃品回収に出す。
- 家出してきた真冬が家に来る。そのまま連れだって外へ。真冬をバンドに誘う。
- 捨てたベースを瓦礫の山から見つける。自分の指のことから逃げていた真冬は、アメリカで治療を受ける決意をする。
なにもやる気がなかった音楽マニア少年が、自発的な意志を持って、バンドというかたちを借りてまわりを巻きこんで音楽をやり始めるまでの話、かなぁ。
ただ本来、解決すべき大きな問題を抱えているのは真冬のほうなんですけどね。解決に必要な自発行動・積極行動などの側面から考えると、真冬が主人公であるとは正面きって主張しにくい。
オイラはまあ、ふたりで主人公コンビである、と捉えるのが美しいと思うのですけどね。
ふたりで線路を歩いて家出するとか、ベタですけど好きです。子どものころ、無人駅から線路に飛び降りて歩くの、やっぱり楽しかったし。真っ昼間だったのでJRの職員さんにきつく怒られましたが(苦笑)
あれをスタンド・バイ・ミーごっこと呼んでたか、裸の大将(山下清)ごっこと呼んでたかで、育ちがわかるような気がしないでもない。
しかし、ツンデレもいいんですが、とにかく中盤までの真冬がキツかったです。読んでて。ツンというか、拒絶ですからね。理由も言わないで排除されると、イライラしてしまってしょうがないというか、コミュニケーションが成立してないというか。
謎を引っ張ったところで、必ずしも読み手が興味を関心を持ってついてきてくれるかどうかという難しさですよね、このあたりは。
- 真冬:傷病系&才能突出によるコミュ経験不足、ツンデレ転校生
- 千晶:武闘系&元ボーイッシュ幼なじみ
- 神楽坂:電波系&破壊突進強引型先輩
キャラクタ。たぶん多くの人にすでに指摘されてると思うのですが、極めて設定・配置がエロゲ的です。
神メモよりもカリカチュア化が進んだとも言えますが。
でもそうしたからこそ、80ページ過ぎまで視点者に自発的な行動をさせないという構成を取れたわけで。かけあいで間を持たせるというか。向こう(ヒロインたち)がこっちに関心を持ってて、こっちへのはたらきかけがあると、それで結構枚数進んでしまいますし。
あー、あと個人的にエビチリの対応にに拍子抜けしてしまいました。はい。普通のお父さんだったので。
なんだろ、「悪人」が欲しかったのかな。結局オイラは。
それか、「普通でない親」のほうが読みたかったか。
音楽を強要されて抑圧されてきた子どもが、親から自立する過程で、自立手段としてやっぱり音楽しかなかったという皮肉な展開を期待してたのかも。
でも、エビチリを単純な悪存在にしちゃうと、真冬の手の件で、「わかりやすい原因」ができちゃうからな。杉井さんはそういう、親と縁切れたから回復しました! みたいな展開は書かないと思うし。
ところで、タイトルはこれ、ダブルミーニングなんでしょうか。
終盤読むまで、「このタイトルは真冬が独奏(ソナタ)からバンドメンバーになる、そういう意味での『さよならピアノソナタ』」だと思っていたのですよ。
でもそしたら、ベートーヴェンのピアノソナタ「告別」をひっくり返して意味を開いたという解説が出てきて。
んー、ダブルミーニングというのとは違うな。発想の大元と、そこから到達した意味なんだから。
でも途中まで、「こういう意味を持つ言葉(タイトル)を杉井さんはゼロからこしらえたのだ」と思っていたので……